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2009年10月20日 (火)

加藤和彦、逝去する。

Photo10月16日、加藤和彦がジョン・レノンも宿泊したという軽井沢のホテルで自殺した。

加藤和彦は、北山修、はしだのりひことの3人組・ザ・フォーク・クルセダーズの1人であり、1967年に解散するつもりで発表した「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたことにより、その名が知られるようになったことは、今更書くことでもないことだろうが、以後40数年にわたって音楽界の先端を走ってきた彼が逝去したことは残念なことである。

と知ったふりをした音楽評論家ならば書くであろう。

加藤和彦が最先端を走ってきたという言葉は適切ではないのかもしれない。彼はただ単に新しい音楽を模索してきたのだ。グループ名のフォーク・クルセダーズ(正確にはクルセイダーズと読む)はジャズ・クルセイダーズからもじったものであり、加藤和彦の愛称である“トノバン”も英国のシンガー・ゾングライターの“ドノヴァン”をもじったものであることを考えても、決して、彼が音楽の最先端を行っていたものでなく、ただ単に最先端を走ろうと模索していたに過ぎないことを如実に語っているのではないか。

それは、自殺というスキャンダラスな死を選んだことでも証明できる。私は自殺を否定するつもりはない。彼が母の介護に疲れていたこと。うつ病が悪化していたこと。曲が書けなくなったこと。様々な要素が絡んで、その死を選んだろうことは想像に難くない。

それが事実であれば、私は彼が「自殺」を自由意志としてではなく、逃避の手段として選んだこととして、それを肯定するつもりはない。彼は音楽家として最先端を行けなかった。それが「自殺」という行為に現れているような気がするのである。

私としては、「帰って来たヨッパライ」には全く興味はなかった。そして、その翌年にフォーク・クルセダーズが発表した「悲しくてやりきれない」は、私の琴線に触れることになるのだが、それ以上に彼らがカヴァーした「イムジン河」の一途な想いと「戦争は知らない」の清らかさというものに感銘を受けたものだ。

当時、高校生の私には「戦争」というものに何も感慨はなかった。「イムジン河」が朝鮮半島の南北統一を願った歌とか、「戦争は知らない」が反戦歌とか、そんなことはどうでもよかった。そのメロディと詩のの美しさがすべてだった。それは今でも同じである。

大体、戦争を描いたというもの自体に興味がない。もっとも、私には「戦争」そのものに全く興味がないのである。「戦争を忘れないために」、「戦争を忘れてはいけない」というキャッチフレーズ自体が好きではない。世の平和のためには、戦争という言葉を早く忘れ、戦争という言葉自体を死語にさせなければならないのだと私は思う。そこで初めて戦争はなくなるのではないか。

現代では、戦争を否定することは簡単である。いくらでも、どんな戦争映画でも描ける。いまさら戦争はこんなにも悲惨だった、戦争を起こした犯人の誰だというような代物は、今だからこそ描けるのであり、もし貴方が戦争当時の映画監督やシンガーソングライターだったとしたら、そうした反戦的なものを描けましたか? それだけの勇気がありますか? と尋ねてみたくなる。

『イムジン河』 (1968年 作詞・松山猛 作曲・高宗漢)

イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥自由に むらがり飛びかうよ
我が祖国 南の地
おもいははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を二つに わけてしまったの
誰が祖国を わけてしまったの

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ おもいを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも 忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る

「誰が祖国を二つに わけてしまったの」と歌いながらも、いったい日本人の誰が朝鮮半島の統一や分裂している現実の哀れを込め得ることができるだろうか。

『戦争は知らない』 (1968年 作詞・寺山修司 作曲・加藤ヒロシ)

野に咲く花の 名前は知らない
だけども野に咲く 花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を 何も知らない
だけども私に 父はいない
父を想えば ああ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦で死んだ 悲しい父さん
私はあなたの 娘です
二十年後の この故郷で 
明日お嫁に お嫁に行くの 

見ていてください 遥かな父さん
いわし雲飛ぶ 空の下
戦知らずに 二十歳になって
嫁いで母に 母になるの

野に咲く花の 名前は知らない
だけども野に咲く 花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

この歌も1955年にピート・シガーによって作られ『花はどこへ行った』に触発されて作られたものであることは容易に想像がつくのだが、『花はどこへ行った』はもともと反戦歌として歌われたのではなかったことを考えれば、『戦争は知らない』も反戦歌ではないのである。「反戦歌」とはマスコミや烏合の衆たちが勝手に名づけたものである。

話は逸れたが、私は加藤和彦が好きである。『悲しくてやりきれない』、『あの素晴らしい愛をもう一度』などの美しい歌を書いた加藤和彦は、優し過ぎるくらいに優しい人だったのだろう。

そうした優しい人間を自殺に追い込む環境こそが何よりも哀しい。 

『花のかおりに』

『何のために』

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