『海ゆかば水漬く屍』を観て
2月16、赤坂RED/THEATERにおける『海ゆかば水漬く屍』(うみゆかば みづく かばね 作・別役実)の初演を観劇した。
演劇を観に行くのは私としては初めての試みであり、映画館で映画を観るのを好まない映画好きの私としては、本来演劇を観に行く気はなかった。
なぜかというと、大勢の人たちが一点を見つめあうということが、奇異に思えるし、途中でお茶を飲んだり、煙草を吸ったりという自由が利かないからだ。それに、私は常に受け身でいると眠くなってしまうのである。そこに参加しているなら別であるが。ただ黙ってじっとしていると100%眠りに陥る。しかし、自宅でテレビを観ながらだと眠くはならない。劇場の空気のせいかもしれない。
今回、劇場に出向いたというのは、ただ、妻の求めに応じて付き添っただけである。私は、「行っても、俺は眠ってしまうよ。」と言ったのであるが、妻は「寝ててもいいから」ということで出かけた。方向音痴の妻にはナビゲーターが必要であったのである。そして、別役実の演劇を一度は観ておこうということもあって、私は案内人として観劇することとなった。
『海ゆかば水漬く屍』は渡辺正行、モロ師岡、阿知波悟美、花王おさむの4人の俳優で演じられる。コント赤信号の渡辺正行が主演するのだから当然の如くコント風の仕立てであるが、・・・もっとも、初演を観ていないのだからコント風に仕立てられているといっても比較はできないのであるが・・・この演劇の内容は濃いものになっている。
まず、タイトルからして考えさせられる。『海ゆかば水漬く屍』?、何ぞやと。これをひも解くとタイトルは、万葉集にある大伴家持の詩
- 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
- 山行かば 草生(くさむ)す屍
- 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
- かへり見はせじ
からの引用であり、この詩句は、太平洋戦争(第二次世界大戦)末期にラジオ放送の戦果発表の際に、その内容が日本軍が外地で全滅した場合に、番組導入部のテーマ音楽として用いられ、出征兵士を送る歌としても「海ゆかば」として歌われた、当時の国民唱歌であった。
簡単にいえば、この詩には「死を覚悟する」という意味が込められている。
舞台には、戦後の復興の象徴としての電信柱が1本あるのみ。そこで約2時間の傷病兵(傷痍軍人)2人と死んだ傷病兵の両親のあわせて4人が劇を演ずる。傷病兵1:渡辺正行、傷病兵2:モロ師岡、傷病兵1の両親に阿知波悟美、花王おさむという設定である。
劇は、白布をかけた車椅子を曳いて舞台に登場する傷病兵2の独白からはじまる。そして、突然、白布の中からうめき声があがる。観客は白布がかけられているのだから死人の搬送中だと思っている。(そう思ったのは私だけか・・・?) その死人=傷病兵1が口をきき、傷病人2の「どうしたんだ、何をしてほしいのか」との問いに、傷病兵1は「苦しみを実感しているのだから、ほっといてくれ」と横柄に答える。
そして、死んだはずの傷病兵1は様々な苦痛に生を感じとる言葉を吐く。苦痛は生きている証であるからでもある。そして、両目を負傷し、両足をなくしているにもかかわらず、歩きはじめるのである。
それは、若くして早逝してしまった死者の生への希求の叫びを具現化したものであり、遺体となった傷病兵1の躯(むくろ)を家族に引きわたすまでの過程で、傷病兵2の傷病兵1が生き返ったらという願望が生んだ白日夢でもあり、彼、そして両親の想いの共同幻想風景なのでもある。
つまりは、反戦的演劇なのであるが、そこには反戦思想を超越して、生と死に真摯に向き合った問いが投げかけられている。
イタリアの作家アントニオ・タブッキの作品『遠い水平線』のように、死者が自分探しの旅を始めるという話に共通するものがある。生きている者に死を語らせるのではなく、死者に生を語らせることによって、生と死の深遠さを導こうとする哲学がある。タブッキの場合、東洋思想の輪廻転生という影響も窺われる。
1978年(昭和53年)に文学座によって初演されたこの作品を書いた別役実は、現代人の不安や孤独を不条理のうちに描いたカフカやベケットなど影響を受けているのだが、タブッキよりも先を行っていた。それにより別役実の演劇は難解であると論じられてきた。彼の演劇は逆説的手法を用いているだけで、決して難解なのではない。ただ普通の人と視点が違っているから難解に思えるだけなのである。
やはり、私は何度か睡魔に襲われ、眠ってしまったのであるが、寝ててもいいと言った割りには、妻は私の腕を肘で突いて起こそうとした。それが後半になると、逆に私が眠りに落ちている妻の肘を突いて目覚めさした。私は道案内人だけでなく、居眠り防止の案内人としても必要だったのである。
初演ということもあって、客席には別役実の姿やモロ師岡が尊敬する俳優の金子信夫(だと思う。付き添いの人に先生と呼ばれていた。)の姿も見かけられた。「赤坂RED/THEATER」は、2006年の12月に開設されたばかりの小劇場で、客席は200に満たないが、立地利便もよく、これからの小演劇の拠点となっていくことだろう。
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