映画・テレビ

2009年11月12日 (木)

「つまらない服」と「つまらない一生」

Photo 「つまらない服を着てると、つまらない一生になるわよ」と、つい最近始まったテレビドラマ『リアル・クローズ』の神保美姫(黒木瞳)は、センスのない服装をしている主人公・天野絹恵(香里奈)に助言する。

このセリフ、平凡であるが、心に残る言葉ではないだろうか。実は、以前にも似たようなセリフをテレビドラマで聴いたのである。

それは、30年以上も前にNHKで放送された『江分利満氏の優雅な生活』の中でである。杉浦直樹が息子に語るシーンで、正確には思い出せないが、時計を示しながら、「安っぽいものを身に着けてると、安っぽい人間になる」というようなセリフであった。

その後、直ぐに山口瞳の原作を買って読んでみたが、同じ言葉が描かれていたかについては覚えていない。

そのころ、私は20歳くらいであった。それ以来、その言葉が私の心に根付いているのである。私は、できるだけ安っぽいものは買わずに、お金を貯めて、できるだけいい物を買うようにしている。その言葉のせいではない。それ以前からも同じようにしている。ただ、その言葉が自分の考え方を肯定してくれたと思ったのである。

いい服を着ていれば、自然に姿勢や立ち振る舞いも粗雑にならない。どこかしら、服に似合うような振る舞いを心がけようとするものがある。それは、すべてに通じるとまでは言わないが、そうした感覚は誰にでもあるはずである。

酔っ払ってしまえば別の話であるが、人生の晴れ舞台の場である結婚式でタキシードやウエディング・ドレスを着て、毅然としないものを見たことがない。どこかの社長のように、暴走族の特攻服を着れば、やはり行動はどうしても暴走族風の突っ張り的な振る舞いをしてしまうだろう。

「つまらない服を着てると、つまらない一生になるわよ」という言葉には、真実が隠されているのである。この言葉を聴いた多くの人は、「そうかもしれない」と思ったことだろう。

何も見栄を張れとか贅沢をしろというのではない。いい物を長く使えば、安いものを短い期間で何度も買い換え、あの時あっちの高い方を買っておけばよかったと思うよりも、心に余裕ができるのである。

神保美姫が、「つまらない服を着てると、つまらない一生になるわよ」と始めた言葉、彼女が最終的に吐く言葉は果たして…。

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2009年1月18日 (日)

ONCE ダブリンの街角で 私的甘辛評価

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ONCE ダブリンの街角で 』(2006年 アイルランド)を観る。

この作品は好き嫌いが分かれる映画かもしれない。音楽好きな人は最後まで観るかもしれないが、音楽好きでない人、映画に起承転結、アクションやCG、VFXを求める人は、途中で放棄してしまうかもしれない。

確かに映像はあまりよくないし、ハンディ・カメラを使って1800万円という低予算でつくられていることからみれば、映画として楽しむ要素が足りないのではないかという疑問もあるだろう。

映像の多くは歌を歌っているシーンである。かといって、ミュージカルではない。ただ音楽の制作過程を映像にしただけという観もある。しかし私は、この作品に引きずり込まれた。

それは、音楽に賭ける情熱が制作者、出演者に垣間見られるからである。 

ストーリーは極めて単純である。アイルランドのダブリンの街角で、ある夜、古びたギターを手にし歌うストリート・ミュージシャンの男(主人公)の前に、一人の女が現れる。男の夢はロンドンでミュージシャンとして成功することであった。女は10セントのチップを渡し、男に様々な質問をし、その挙句、掃除機の修理まで約束させる。女は街行く人に本や花を売って生計を立てているらしい。

翌日、壊れた掃除機を持って女が現れる。男は女が本当に掃除機を持って来るとは思っていなかったらしく、最初は道具がないと言って修理するつもりはなかったが、結局、修理するはめになる。

この掃除機を持って歩く姿が、どこか犬を連れて歩いているようで滑稽なのだが、まさかチェーホフの”小犬をつれた貴婦人”を意図的にパロったわけではあるまい。

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掃除機を修理するため男の父親が営む店に向かう途中、女がピアノを弾かせてもらえるという楽器店に立ち寄る。メンデルスゾーンを弾く彼女のピアノの才能に興味を示した男は、一緒に演奏することを提案する。

ある日、男は女に自分の部屋に泊まっていけと言うが、女はそれをかたくなに拒む。最後まで男と女の恋愛関係には発展しない。実は、女はチェコからの移民であり、彼女には別居中の夫と娘がいたのだった。その後、お互いの家族を含めた交流が続く中で、歌が作られていく。

男と女は一緒にデモCDを作ることになり、ロック系のストリート・ミュージシャンにバック・バンドをやってほしいと持ちかける。彼らはシン・リジィ(アイルランドの有名なハードロック・バンド)じゃなければやらないと言っていたが、そのバンドも参加するようになり、スタジオ録音がはじまる。

最初は変なバンドだと思って、片手間にミキシングしながら携帯電話で友人としゃべっていたスタジオ・エンジニアも彼らの曲を聴くうちに、本気でミキシングに取り組むようになる。

デモCDが完成し、男は今夜コーヒーでもどうかと女を誘うが、女は来なかった。男はデモCDをかなり年配の父親に聴かせる。男の「どう?」という不安げな質問に、父親は「いい曲だ。間違いなくヒットする」と褒めるのであった。

ロンドンへ出発する日、男は彼の前から去って行った元の恋人に電話をする。彼女はすぐにでも会いたいと言うのだ。男は女に楽器店で弾いたピアノを贈り、デモCDを手に意気揚々とロンドンへ旅立つのであった。

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この作品、女の娘の“イヴァンカ”という名前はわかっても、最後まで男と女の名前はわからない。名前をつけないことによって、音楽に打ち込む男と女に普遍性を持たせようとしたのだろう。起承転結も大きな山場もない。しかし、この作品には観るものに訴える何かがある。

それは何か。やはり、作品全編を貫く、音楽に賭けた夢と情熱が、ひしひしと伝わってくるからであろう。

主演の男・グレン・ハンサードと女・マルケタ・イルグロヴァは、実際にプロのミュージシャンであり、監督・脚本は、グレン・ハンサードとともに、「The Flames」というバンドのメンバーでもあったジョン・カーニー

この作品は、全米では2館からの公開だったが、口コミで話題になり、140館まで劇場数を増やし、サウンドトラックは全米チャートで2位を獲得した。無名の監督・主演者がアカデミー賞オリジナル歌曲賞を受賞し、一躍有名になった。作品よりも現実の方が、本当のサクセス・ストーリーとなったのである。

私的甘辛評価 ★★☆ (満点は★4つ、☆は0.5点) 映像がもう少しよければ★★★をつけたい。

その他の私的甘辛評価(ハイビジョン放映、ブルーレイのみ)

○ 『Returner リターナー』(2002年 日) ★★

○ 『バイオハザードⅢ』(2007年 米) ★

○ 『アイ・アム・レジェンド』(2007年 米) ★

○ 『ダークナイト』(2008年 米) ★★☆

○ 『ライラの冒険 黄金の羅針盤』(2007年 米) ★

○ 『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうな私の12か月』(2008年 米) ★

○ 『トランスフォーマー』(2007年 米) ★

○ 『クローズZERO 』(2007年 日) ☆

○ 『レミーのおいしいレストラン』(2007年 米) ★☆

○ 『13ゴースト』(2001年 米) ☆

○ 『魍魎の匣』(2007年 日) ★☆

○ 『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』(2007年 米) ★

○ 『ディスタービア』(2007年 米) ★

○ 『三銃士』(1993年 米) ★

○ 『エバン・オールマイティ』(2007年 米) ★

○ 『バンズ・ラビリンス』(2006年 スペイン=メキシコ) ★☆

○ 『エラゴン 遺志を継ぐ者』(2006年 米) ★

○ 『ベオウルフ 呪われし勇者』(2007年 米) ★

○ 『X-MEN:ファイナル ディシジョン』(2006年 米) ★☆

○ 『沈黙のステルス』(2007年 米=英=ルーマニア) ★

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2008年9月28日 (日)

ポール・ニューマン逝く

Photo(『明日に向かって撃て!』)

9月26日、私の好きな俳優の一人であるポール・ニューマンが、肺がんにより逝去した。83歳だった。

ポール・ニューマンは、ジェームス・ディーンと演劇スクールのアクターズ・スタジオで同期であったが、ジェームス・ディーンがいち早くスターダムにのし上がったのに比べ、なかなか日の目を見なかった。

一時は、映画をあきらめ、TVや演劇に活動を移したが、ディーンの死後、ロバート・ワイズ監督の『傷だらけの栄光』で、実在のボクサー、ロッキー・グラジアノを演じて一躍脚光を浴びることとなる。

その後、『左利きの拳銃』、『ハスラー』、『動く標的』、『暴力脱獄』等と順調にキャリアを積み上げ、アメリカン・ニューシネマの傑作、ジョージ・ロイ・ヒル監督『明日に向かって撃て!』で米国ナンバーワン俳優となる。

そして、ロバート・レッドフォードと引き続き共演した『スティング』はアカデミー作品賞となり、トム・クルーズと共演した『ハスラー2』で、遅すぎるとも思えるアカデミー主演男優賞を受賞する。

特に、『明日に向かって撃て!』は今でもファンが多く、その主題歌も大ヒットした。この機にNHK-BSとWOWOWに、『明日に向かって撃て!』と『スティング』の追悼放送を要望したのだが、果たして観られるかどうか…。

  • 傷だらけの栄光 Somebody Up There Likes Me (1956)
  • 左ききの拳銃  The Left Handed Gun (1958)
  • 熱いトタン屋根の猫  Cat on a Hot Tin Roof (1958)
  • 栄光への脱出 Exodus (1960)
  • ハスラー  The Hustler (1961)
  • 動く標的  The Moving Target (1966)
  • 引き裂かれたカーテン  Torn Curtain (1966)
  • 暴力脱獄  Cool Hand Luke (1967)
  • レーチェル レーチェル  Rachel, Rachel (1968) 監督のみ
  • 明日に向って撃て!  Butch Cassidy and the Sundance Kid (1969)
  • オレゴン大森林/わが緑の大地   Sometimes a Great Notion (1971) 監督、主演
  • スティング  The Sting (1973)
  • タワーリング・インフェルノ  The Towering Inferno (1974)
  • スラップショット  Slap Shot (1977)
  • 世界崩壊の序曲  The Day World Ended (1980)
  • アパッチ砦ブロンクス  Fort Apache: The Bronx (1981)
  • 評決  The Verdict (1982)
  • ハスラー2  The Color of Money (1986)
  • ガラスの動物園  The Glass Menagerie (1987) 監督のみ
  • ミスター&ミセス・ブリッジ Mr. & Mrs. Bridge (1990)
  • 未来は今  The Hudsucker Proxy (1994)
  • ノーバディーズ・フール  Nobody's Fool (1994)
  • ロード・トゥ・パーディション  Road to Perdition (2002)
  • PS .どうやら、NHK-BSがリクエストに答えてくれたようだ。10月2日、BS2で『スティング』が放送される。ハイ・ヴィジョンでないことが残念であるのだが…。

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    2008年8月27日 (水)

    私的ハイヴィジョン映画甘辛評価

    地上デジタル放送での映画の多くがハイヴィジョン画質となっている。ただし、BS2、3やWOWOWと違って、短縮版であるということがネックである。

    (評価は ★4個が最高点 ☆は★の半分従って★★で水準点(普通の出来)、★★☆は水準を越え、★★★はかなりいい出来、★★★★はめったにお目にかかれない傑作ということになる。ちなみに、☆はよく作ったということで、★は暇であれば、★☆は水準まであと一歩、あるいは一味足りないといった具合…。あくまでも、あくまでも、私からみた基準。)

    ○ 『KINKY BOOTS』(2005・英) ジュリアン・ジャラルド監督 ★★★

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    チャーリー・プライスはイギリスの田舎町ノーサンプトンの伝統ある紳士靴メーカー 『プライス社』 の跡取りだったが、周囲の重圧に耐えかね、転勤を機にロンドンに移住することを計画していた。

    しかしロンドンに到着したその日に父の訃報が届き、『プライス社』 を継ぐことになってしまう。しかも社の財政状況が火の車だということを知る。

    チャーリーは、社の存続のための奔走するが、クビにした社員のローレンには「ニッチ市場を開拓しろ」と捨て台詞をはかれ、婚約者のニックには「工場を売ってしまえ」と責められ、やけ酒を食らった勢いでチンピラに絡まれている美女を助けようとすれば、逆に美女に一発で叩きのめされてしまう。

    しかし、その美女ローラが実はドラァグ・クイーン(異性装嗜好)で、足に合わない靴に悩まされていることを知ったチャーリーは、そこにローレンの言うニッチ市場を見出す。

    ローレンを顧問として再雇用し、『女物の紳士靴』 の開発に着手したチャーリーだが、機能性を重視するあまりにオバサンくさいブーツに仕立ててしまい、ローラを怒らせる。

    ローラの意見を取り入れ、『危険でセクシーな女物の紳士靴 (Kinky Boots)』 を作り上げたチャーリーは、ミラノの靴見本市に打って出る決意をする。(あらすじ ウィキペディアから)

    この作品は、オープニング・シーンから引き込まれてしまう。波止場で踊る黒人の少女が赤いハイヒールを履いて踊りだす。それを食堂で見ていた父親が「バカ息子」と怒鳴る。彼女は少女ではなく、少年だったのである。

    有名キャストが名を連ねるわけではなく、また高い予算でつくられてもいないにもかかわらず、観終わった後、素直に良かったと言えるそんな映画である。音楽のセンスもよい。

    ○ 『プルートで朝食を』(2006・英) ニール・ジョーダン監督 ★★☆

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    アイルランドの小さな町で教会の前に捨てられた赤ん坊は、近所のブレイデン家に養子となり、青年になる頃には自分の名を”キトゥン”と呼び、カミングアウト。時はアイルランド独立運動が盛んな頃で、革命やロックに若者は酔いしれていた。そんな中、キトゥンは実の母親を探しにロンドンへ。マジシャンの助手、街頭での売春、テロの容疑者、そしてストリッパーと様々な遍歴を重ねる。そしてついにキトゥンは念願の母親の家を突き止める。(あらすじ goo映画から)

    ニール・ジョーダン監督は、IRAの過激行動を一貫して批判の目で見ている。アイルランド独立をめぐるテロが頻発した70年代を、当時流行したサイケデリックな雰囲気の中で、性同一性障害者のキトゥンの目を通して軽妙に描いている。

    そして、なんと、あの『バットマン ビギンズ』で悪役スケアクロウを演じたキリアン・マーフィーが性同一性障害者役で主演しているのである。それに、ブライアン・フェリーがカメオで出てきたことには驚きだった。ほかにも多数の有名俳優がカメオ出演していることにも興味をそそられる。映像さえよければ、☆一つを追加したい怪作である。

    ○ ダイハード4.0 ★★ 

    ○ ママの遺したラブソング ★☆

    ○ ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ☆

    ○ パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド ☆

    ○ アイム・レジェンド ★

    ○ ナショナル・トレジャー2 リンカーン暗殺者の日記 ★

    ○ 明日の記憶 ★

    ○ スキヤキウエスタン・ジャンゴ ★

    ○ ゴーストライダー ★

    ○ スパイ・キッズ1,2,3 ★☆

    ○ 大酔侠 ★★

    ○ 大帝の剣 ☆

    ○ デジャヴ ★

    ○ パフューム ある人殺しの物語 ★★☆

    ○ ディパーテッド ★

    ○ DOA/デッド・オア・アライブ ★

    ○ クイール ★☆

    ○ あるスキャンダルの覚書 ★

    ○ ウルトラ・ヴァイオレット ★

    ○ 恋するレシピ~理想のオトコの作り方~ ★

    ○ 16ブロック ★

    ○ サイレント・ヒル ★★☆

    ○ ザ・シューター/極大射程 ★☆ 

    ○ 耳に残るは君の歌声 ★

    ○ unknownアンノウウン ☆

    ○ サマータイムマシン・ブルース ★☆

    ○ ギフト(短縮版) ★☆

    ○ 幸せのポートレート ★☆

    ○ HERO(邦画) ☆

    ○ ナイト・ミュージアム ★

    ○ ジュラシック・パーク3 ★

    ○ ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ ★☆

    ○ スパイダーマン3 ★★

    ○ シン・シティ ★★

    ○ 300ハンドレット ★☆

    ○ 大日本人 ☆

    ○ 007/カジノ・ロワイヤル ★☆

    ○ トランス・ポーター2 ★

    ○ プラダを着た悪魔 ☆

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    2008年5月31日 (土)

    『バベル』(BABEL)を観る。

    Cimg1371モロッコの羊飼いの少年が放った1発の銃弾、その銃弾はスーザン(ケイト・ブランシェット)の肩を貫き、モロッコからアメリカ、メキシコ、そして、日本へと世界を駆け巡った。

    アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バベル(BABEL)』(2006年・米・メキシコ)を観た。

    バベルとは、旧約聖書・創世記に語られる都市である。

    創世記では、バベルの塔について

    もともと世界の人々(ノアの方舟の子孫)は同じ言葉で話していた。そこに、東の方から移動してきた人々が、シンアルという地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは、石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。更に、彼らは有名になるため、天まで届く塔を建設しようとしたのである。

    神は、天まで届きそうな彼らが建てた塔を見て怒り、彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできないと思い、彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにした。

    それから神は、二度と同じようなことをさせないために、彼らをその町から世界中に散らばらせ、彼らのコミニュケーションを断ち切ったのである。

    そして、町の名は言葉を混乱(バラル)させたことから、「バベル」と呼ばれるようになった。

    というように記述されている。

    映画『バベル』が、この創世記をモチーフに作られていることは確かである。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、世界の人種と言葉の違い、生活習慣、偏見、自己主義等からくるコミュニケーションの不在を描こうとしたのは、タイトルからも窺われる。

    Cimg1385ある日、山羊の放牧を営むアブドゥラの家へ1丁のライフル銃を売りに男がやってくる。ジャッカルから山羊を守るために、アブドゥラはライフル銃を買うことにする。しかし、撃ち慣れていないライフル銃はアブドゥラの息子・アフメッユセフにとって興味津々のものであった。

    彼らは、なかなかうまく当たらないライフル銃が3キロ先まで狙うことができるとの男の話に疑問を抱き、当たるか否かだけの単純な子供の発想で、遠くを走る車に狙いを定めるのであった。そこには人がいて、当たれば死ぬかもしれないということは一切頭にはなかったのである。

    Cimg1376 しかし、バスを狙った弟・ユセフの銃弾は観光客の女性の肩を貫いたのだった。もちろん兄弟はそんなことは予想だにしなかった。不意にバスが止まったことで、彼らは自分たちの行為の重大さに気づき、現場から立ち去る。

    一方、撃たれた観光客は、アメリカ人のスーザン(ケイト・ブランシェット)であり、その夫・リチャード(ブラッド・ピット)と夫婦にできた深い溝を埋めるための旅であった。彼らは生まれたばかりの子供を亡くしたことで、お互いのコミュニケーションを失っていた。

    Cimg1379 リチャードは医療機関もない僻地に苛立ち、バスに居合わせた観光客らはテロではないかと思いこみ、留まっていては自分たちの命も危ないと先を急ぐ。スーザンが出血多量で死ぬかもしれないというのにもかかわらず、彼らは自分のことしか考えない。ここにもコミュニケーションの不在が姿を現す。

    そして、リチャード夫妻がアメリカに残してきた子供にも危難が襲う。その日、メキシコ人の乳母・アメリア(アドリアナ・バラッザ)の長男の結婚式があるために、子供たちを別のベビーシッターに預け、メキシコへと向かう予定だった。しかし、その予定も崩れ、アメリアはしかたなく二人の子供を連れて甥・サンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)の運転でメキシコに向かうことにする。

    Cimg1383結婚式が終わり、長男たちがサンチャゴが飲酒運転で帰ろうとしていることで、泊まって帰るように勧めるのだが、アメリアは子供たちがいることで一日でも早く帰ろうとする。アメリカへ帰る途中の国境では、入国手続きのために、パスポートを提示しなければならない。

    当然のように、出国は容易いが、入国は厳しく審査される。サンチャゴが提示したパスポートは偽造パスポートであり、その上、飲酒運転である。更には、メキシコ人とは違う白人の幼い子供二人を乗せており、入国警備官の質問にサンチャゴは二人を甥と姪と応えるという軽薄さである。

    不審に思った入国警備官は彼らを留めようとするが、サンチャゴは制止を振り切って逃走してしまう。そして、暗闇の中、闇雲に逃げ惑うサンチャゴの運転に恐怖を覚える子供たち。そんな子供たちを乗せていることにうんざりするサンチャゴは、アメリアと子供二人を砂漠に残して立ち去る。

    Cimg1380日が昇り砂漠の中を疲労困憊で彷徨い歩くアメリア達、結局は保護されるのだが、アメリアは16年間、アメリカに不法残留していたことがわかる。信頼していた乳母は、不法就労者だったのである。ここにも雇い主と雇われ人とのコミニュケーションの不在が露呈する。

    そして、もう一つのコミュニケーション不在の物語。それは、モロッコ人の男に、旅行のガイドのお礼の意味でライフル銃を渡したヤスジロー(役所広司)とその娘・聾唖のチエコ(菊地凜子)の物語である。

    ヤスジローは高級車を乗りまわし、高級マンションに住むエリート・サラリーマンであり、その妻は数ヶ月前にけん銃自殺をしていた。そのことが原因で、父と娘の間に深い亀裂が横たわっていた。Cimg1378

    チエコは聾唖者であることで、同世代の男たちから自分たちが怪物のような目で見られ、普通に男とコミュニケーションできないことで苛立ちを覚えている。

    そんな中、ライフル銃の関係で刑事二人がヤスジローに事情聴取に訪れるが、ヤスジローは不在だった。チエコは、刑事の一人に心惹かれる。

    彼女はその刑事を話があるということで、マンションの自宅に呼び出す。そこで、彼女は裸になり刑事に抱いてもらおうとするが、拒まれる。しかし、刑事はそんなチエコの心の不安に気づきやさしく抱擁する。

    マンションを出て行こうとする刑事と帰ってきたばかりのヤスジローが、マンションのエントランスで出会う。刑事はモロッコの事件を語るが、ヤスジローは「それは私に責任のないことですよね」とあっさりと答える。そこには、人が重体に陥っていることの気遣いは微塵もないものであった。

    部屋に入ったヤスジローはチエコを探す。現代の“バベルの塔”のように天まで聳える都会のマンションのバルコニーで裸のまま立ち竦んでいるチエコ。ヤスジローは、そんなチエコを見つけ抱きしめるのであったが、果たして二人にコミュニケーションが復活するのだろうか。

    Cimg1381 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、「境界を形成するものは、言語、文化、人種、宗教ではなく、私たちの中にある」と語っているが、それは真実に違いない。

    そして、「人間の大きな悲劇は、愛し愛される能力に欠けていること。愛こそが、すべての人間の生と死に意味を与えるのものなのに」ということも真理であろう。

    アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、コミュニケーションの不在は愛の不在だと問う。

    モロッコの僻地で放たれた一発の銃弾は、それぞれの国の人間(家庭)のコミュニケーションの不在を暴くことになるのだが、結果的に、それぞれの人間の心を結びつけたとは言い難く、モロッコの少年の家庭を崩壊したことの方が、私にははるかに重くのしかかってくるのである。

    ともあれ、最近の映画の中では、観て何かを感じさせるいい出来の作品であった。音楽も非常にいい。ただし、画像は、それが意図的であったか、予算不足なのか分からないが、満足のいくものではなかった。映画にとって命でもある映像に何の工夫もなかったとしたら、それはTV放送で済むのではないだろうか。

    映画は映像+台詞+音(音楽)の3大要素が統合した芸術の総称である。だからこそ、映画は『総合芸術』といえるのだと思う。

    TVがなかった時代ならばともかく、TVで制作できるような映画では、それは映画に値しないのではないだろうか。その分、私の甘辛評価では低く評価させてもらった。

    アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の次回作に期待を込めて…。

    私的甘辛評価 ★★☆ (満点は★4つ、☆は0.5点)

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    2008年5月11日 (日)

    秒速5センチメートル~新海 誠

    Phg_9先週の金曜の深夜にWOWOWで放送していた新海 誠(しんかい まこと)監督の『秒速5センチメートル』(2007年)を録画で観た。もちろんハイ・ヴィジョン映像でである。

    『YOU TUBE』で観るのと違い画像の美しさと描写の細やかさは秀一である。

    私は普段、アニメ作品はほとんど観ない。しかし、この作品にはもともと愛着があって観てみようと思った。

    それは、シャーンノースの『ソメイヨシノ~桜の木の下で~』をMADムーヴィーにした映像をよく観ていたからである。このMADムーヴィーは映像と音楽がよくマッチしていた。

    ところで、この『秒速5センチメートル』とは、作品の冒頭で主人公・遠野貴樹(とうの たかき)の初恋の相手である篠原明里(しのはら あかり)が「桜の花びらが散る速度が、秒速5センチメートル」だと説明する。

    ほんとうに桜の花びらが落下する速度が秒速5センチメートルなのかどうか、風のある日ない日によって違うので何とも言えないのであるが、おそらく、二人の心が隔たっていく速度を象徴したものであろう。

    話は単純であるが、初恋を大事にしようとする少年、そして少年から大人へと成長してもなお初恋の相手が忘れられないという男の純粋さが、切なく心揺さぶる。

    多くの人たちが経験する、あるいは経験するであろう初恋の切なさとノスタルジーが全編を漂う。

    このアニメは、物語よりも映像である。アニメ界の印象派と言えばいいのか、そこにあふれているのは様々な“光”である。教室の明り、雪に閉ざされた電車の明り、街灯の明り、夕焼けの明り、斜光線と照り返し、そして、最も印象的なのは、太陽の光が満ちあふれた明るさ、これまでに観たアニメでは感じられなかった“光”が描きこまれている。

    そして、背景描写は、元はデジカメ映像によるものであろうが、精緻なまでに丁寧に描きこまれている。その手法には、どこかイラストレーターの鈴木英人を思わせるものがある。

    環境問題とかスケールの壮大さだけで、中身が伴わない宮崎駿は私の好みではないが、日常の中で少年と少女の心の機微を描いて、その才能を垣間見せる、まだ弱冠35歳の映像監督の今後に私は期待したい。

    ただ、惜しむなくば、やはり主題歌が山崎まさよしではなく、シャーンノースの『ソメイヨシノ~桜の木の下で~』であったならば、どれほどよかったろうと思えるのである。

    ♪  明日の暗闇に消えかけた光

        聞くことのない答えを待ってた

        永遠と呼ぶには若すぎた二人

          いつまでも… いつまでも… 

        運命を信じてた

       瞼を腫らしたその胸の痛み

       どこかで消えるときが来るから

        悲しみはやがて喜びに変わり

        いつの日か逢えるだろう

       桜の木の下で♪    『ソメイヨシノ~桜の木の下で~』

    Phg_a1 (この詳細に描かれた風景を観てほしい。コンビニのシーンも驚くほど丁寧に描きこまれている。)

    私的甘辛評価  ★★☆ (満点は★4つ、☆は0.5点)

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    2008年1月20日 (日)

    『のだめカンタービレ』にハマる

    書こう書こうと思っていて、ずるずると今日まで延ばしていたが、BSフジで再放送もしていることだし、今年になってというか、正月にハマったものが、『のだめカンタービレ』である。

    Cimg9945awもっとも、昨年、深夜枠で放送されていたアニメ版の『のだめカンタービレ』を観て、既にハマっていたのであるが、正月に2006年に放映された実写版と新しいヨーロッパ留学編を一挙放送してくれたおかげで、更にハマってしまったのである。

    私のライフスタイルとしては、テレビは一話完結型のものであれば観るのだが、毎週毎週観なければ意味が通じないというような番組はほとんど見ない。そもそも地上波自体あまり観ない。だから、こうした一挙放送という企画が好きである。それも録画してCMを飛ばして観ると時間的にも合理的である。

    テレビ版の『のだめカンタービレ』は、コミックの実写版だから、もともとマンガチックには違いないのだが、そのマンガチックさを実写でやってるからこそ面白い。たとえば、千秋がのだめを殴って吹っ飛ぶとか、のだめが千秋を一本背負いで投げてしまうとか、それも不自然には思えないからいいのである。(本来不自然にちがいないが、マンガなのであるから、それぐらいのことは不自然ではないだろう。)

    実写版だとクラッシックそのものが目と耳に入ってくる。コミックでは音楽が流れない分、いろんな表現を試みたのであろうが、音楽が主で音楽が聴けないコミックに人気があったのだから、それを実写版にすると面白くなるのは当然かもしれない。

    そして、この『のだめカンタービレ』が面白いのは、ヒーロー、ヒロインがはっきりしていて、主人公の野田恵(のだめ)がたとえダサくてルーズであっても、音楽的には天才肌であるということである。

    のだめは幼少から英才教育を受けた千秋と違って、譜面よりは自分のフィーリングでピアノを弾く。彼女は耳で聴きとったものをそのまま弾けるという天才的な聴覚を持っている。その聴力のおかげで、フランスに留学した時には、セリフを覚えるほど見ていた『プリごろ太』をフランスの友人・フランクがDVDを持っていて、そのアニメのフランス語を聴きながら徹夜でフランス語を覚えてしまうのだ。

    また、この番組はクラッシク入門としても面白く観ることができる。定番のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番ロ短調など当然のごとく演奏され、モーツァルト、バッハ、ハイドン、ブラームスなどの常識的な解説もあって、これを観てクラッシック好きになった人も多いだろう。

    冒頭にも書いたが、今、BSフジの毎週火曜日・午後11時からハイヴィジョン画質により再放送されている。もうすでに観た番組だが、画質・音質ともに優れたハイヴィジョンでの放送を観ることができる楽しみが増えたことは嬉しいことだ。

    一挙放送であれば、更によいのだが…。

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    のだめカンタービレ公式サイト http://wwwz.fujitv.co.jp/nodame/index.html

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    2007年12月 8日 (土)

    私的ハイヴィジョン映画甘辛評価

    最近観たハイヴィジョン映画を列挙してみると、『キング・コング[2005年版]』、『イントゥ・ザ・ブルー』、『亡国のイージス』、『私の頭の中の消しゴム』、『Vフォー・ヴェンデッタ』、『武士の一分』、『M:i:III』、『スーパーマン リターンズ』、『プライドと偏見』、『カオス』、『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』、『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』、『ただ、君を愛してる』、『日本沈没』、『ダブル・ジョパディー』、『スタンドアップ』、『DOOM ドゥーム』、『ユージュアル・サスペクツ』、『笑の大学』、『RUN/標的にされた男』、『フラッシュダンス』、『ホテル・ルワンダ』などであるが、すでにタイトルさえも忘れてしまったものも多々ある。

    『RUN/標的にされた男』は、今話題の医療ヒューマンドラマ『グレイズ・アナトミー』に出演し人気を博しているパトリック・デンプシーの若き日の映画作品である。この作品は、ひょんなことから暴力団のボスの息子を死なせてしまった(死んだ本人の過失)ことから、追われる羽目になった若者が暴力団組織から逃げ回る作品で、昔観た時は、展開が速くスリリングで観ごたえがあったのだが、今観ると、スピード感が落ちて観えてしまうのが残念である。

    『フラッシュダンス』はハイヴィジョンで観るとダンス部分の代役がはっきりとわかり、それだけで興味をなくしてしまう。音楽だけを聴いていればいい、それだけの作品である。

    期待したピーター・ジャクソン監督の『キングコング』は、個人的には好きな女優の一人であるナオミ・ワッツに色気がなく、キングコングが彼女に惹かれる理由がわからないし、恐竜の大群に逃げ惑う人間たちの部分などのCGにリアリティがなく、興ざめしてしまう。

    また、『マトリックス』のウォシャウスキー監督の『Vフォー・ヴェンデッタ』にも期待したのだが見事に裏切られてしまった。

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    (画像はジョー・ライト監督『プライドと偏見』から)

    上記作品の中でこれはといった作品( ★★以上つけられるもの)は、キーラ・ナイトレイ主演の『プライドと偏見』くらいなものだろうか。原作が、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』だけに内容がしっかりいて、見応えはある。

    この作品は、またあとで詳しく書くかもしれない。

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    2007年10月20日 (土)

    『夜よ、こんにちは』~テロリズムの否定

    Cimg9298a 『夜よ、こんにちは』(’03・伊)マルコ・ベロッキオ監督の映画をハイ・ヴィジョンで観る。なんとも久々の傑作である。

    この作品は、1978年にイタリアで実際に起こったキリスト教民主党党首アルド・モロを誘拐殺害事件をもとにした映画であるが、ドキュメンタリーでなく、全くのフィクションである。

    そこがミソである。ドキュメンタリーでは本当の事実を語りえない、そこにフィクションが絡んでこそ真実が浮かび上がるのであると私は思うのである。

    『赤い旅団』によるこの事件は世界中に大きなショックを与えた。当時まだ学生であり、日本では中核派をはじめとした過激派が成田闘争で激しい武装闘争を展開していただけに、このイタリアの極左武装集団の暗殺行為は世界中の過激派に影響を与えたものと思われる。

    マルコ・ベロッキオ監督は、『赤い旅団』のテロリストの中の一員である女性闘士(あるいは一図書館司書)のキアラの目を通して幻想的にこの事件を描き、テロリズムを痛烈に否定した。古い事件を題材としているのであるが、その普遍性は今に通じるものがあるからこそ傑作と言える。

    舞台は1978年のローマ、キアラはフィアンセとともにアパートを下見し、その後そのアパートに引っ越してくるのだが、そのアパートではキアラとそのフィアンセだけでなく、他の男2名の4人の手によって改装が進められいく中、何やら木箱らしきものを作成している。もちろん、キアラのフィアンセは名ばかりで、彼らは『赤い旅団』のメンバー(闘士)たちなのである。

    そんなある日、テレビのニュース速報で元首相のキリスト教民主党党首アルド・モロ誘拐事件が報道される。それを見ているキアラ、やがて、他のメンバー3人が大きな木箱にアルド・モロ元首相を隠してアパートに戻ってくる。

    そこから、アパートの室内に作った小部屋にモロを監禁しての生活がはじまる。キアラは監禁部屋のドアにつけられたのぞき穴からモロの様子を窺う。

    赤い旅団は、モロの写真と声明文を政府に送りつける。その声明文は、モロを労働者階級(プロレタリア)の裁判にかけるというものだった。テレビでは、モロ誘拐に際して殉死した護衛官5人の葬儀が映し出され、遺族の悲しみと人々の非難が赤い旅団に向けられる。ニュースを見ているメンバー達は、自分たちの行動が民衆に支持されていないのを見て苛立つのだった。

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    キアラは図書館司書として働いているのだが、そこの同僚の男は「赤い旅団」の批判をする。更に、政府に対する自分たちの要求が通らないことに苛立った旅団メンバーは、モロに対して、「権威のある人に手紙を書け」と要請する。モロはローマ法王に宛てた手紙を書くのだが、そんな中、キアラは自分たちに人を殺す権利があるのか悩み始める。

    やがて、メンバーのリーダーから赤い旅団の宣告文がモロを前に読み上げられる。それは、モロへの死刑宣告文であった。その後、キアラは、のぞき穴からモロの様子を窺うことが頻繁になりはじめる。

    キアラは、レジスタンスとして活動していた両親がファシストの手によって殺されたことを契機として、革命家を目指し「赤い旅団」に入り、モロ誘拐事件に参加したのだが、父親の姿をモロに投影するようになる。それは、モロ個人への関心であり、それは、一人の人間に向き合おうとするキアラの新しい感情であった。

    それが決定的になるのは、モロが家族にあてた手紙だろう。モロは犯人の中に女性がいることを知り、彼女に手紙の感想を聞く。キアラはモロが朗読する手紙の内容に大粒の涙を流すのだが、モロへの返事は、逆に否定的なものだった。(このシーンは、映画のチラシに使われている。映像下の中央部~監禁部屋のドアを開放状態にして、モロは家族への手紙を旅団のメンバーの顔を見ないように配慮して、後ろ向きで読み上げる。)

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    キアラは夢を見る。メンバーたちが眠っている間に、モロが監禁されているドアの鍵をあけ、ドアを半開きにする。やがて、それに気づいたモロは彼女のベットのそばにきて、彼女が読んでいる本を手にした後、そっとアパートから出ていくという夢である。アパートを出たモロは生き生きとして、再び自由になった解放感と幸福感が満ち溢れた表情で街を歩く。それは、彼女の希望の現れであったのかもしれない。

    しかし、そうした夢と裏腹に、50日以上に及ぶ監禁生活の果てにモロは殺害されるのである。

    この作品で重要なカギを握っているのは、図書館の同僚であるエンゾという若者である。彼はシナリオを書いいて、キアラに読んでみないかと勧める。そのタイトルは、作品のタイトルと同名の『夜よ、こんにちは』なのである。そして、エンゾは「誘拐犯の中に女がいる」という自分のシナリオをキアラに語って聞かせる。ここに、この映画の二重構造が浮かび上がる。

    実は、この作品で描かれたものは、エンゾが描いたシナリオの中身であり、キアラは女の誘拐犯に自分をあてはめ、そのシナリオの描写を夢想していただけなのかもしれない。そして、モロが監禁部屋で読んでいた本が、なんとエンゾのシナリオであったということが観る者の不思議を誘うのである。

    この作品は、後半に至って幻想的となる。覗き穴から覗く女と覗かれる男、そして、それをまた覗きかえす男。相手を覗くということは、半面、相手からも覗かれてるという二律背反的側面があるということ。そして、モロの殺害が報道された後、モロが至福に満ちた表情で街をさまよい歩くシーンで終わること。

    Cimg9299a

    ここで描かれたのはエンゾのシナリオなのか、それとも、そのままキアラという赤い旅団の闘士の目を通して語られたものなのか、様々な解釈を観る者に突きつける。

    いずれにしても、ほとんど室内劇と言っていいいこの作品に緊張感をあたえ続けたのは、こうした描写があったからこそであり、マルコ・ベロッキオ監督は、その緊張感の中にテロリズムの無意味さとその否定を描きこんだのである。

    マルコ・ベロッキオ監督は、「この残酷な悲劇の中に、悲惨な結末にあらがう何かが見いだせないかを探りたかった」と語ったそうであるが、監禁から解放されたモロの至福に富んだ表情の描写には、殺害は1個の人間が失われるだけで、『暴力革命』によっては社会を変えることはできない。もしも、解放されていたならば、そうした至福を新たな政治に結びつけた可能性があったのではないかということを示唆しているものだと私は受けとった。

    私的甘辛評価 ★★★☆ (満点は★4つ)

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    2007年9月 9日 (日)

    ハイヴィジョン・シアター ~ ダ・ヴィンチ・コード

    ○ ダ・ビンチ・コード(2005年・米) ロン・ハワード監督、主演 トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、ジャン・レノ、イワン・マッケラン

      Davinch

    全世界で5000万部を売ったというベストセラーの映画化であり、監督は『スプラッシュ』以降、トム・ハンクスとのコンビが多いロン・ハワードであるが、彼はどうもミステリーは得意でないらしい。

    キリスト教国家ではない日本では、この種の映画は観る者に “こんなことで殺しあうのか?” という疑問をもたげさせるし、そもそも、イエスが神ではなく人間だったかで信仰の危機に陥るかもしれないというキリスト教とは、そんなに底の浅い宗教なのだろうか。

    私は原作を読んでいないので、この映画をもって原作にまでケチをつけたくないが、話の内容が陳腐である。

    もともとダ・ヴィンチの描いた『最後の晩餐』のヨハネが女性的に描かれており、それは“ヨハネではなくマグダラのマリアであった”、更には、“イエスとヨハネの間のV字ゾーンにはマグダラのマリアとの子が描かれていた” という一つの仮説と、“マグダラのマリアはイエスと関係を持っていたという俗説”から、イエスとマグダラのマリアの子が子孫として現代に生きており、その子孫が発見され、イエスは神の子ではなく人間であったということがわかれば、キリスト教の根底を揺るがされかねないというこが、このミステリーのテーマである。

    Bansan

    (サンタマリア・デラ・グラツィエ教会蔵『最後の晩餐』 真中がイエス、向かって左隣りがヨハネ)

    Bansan02(拡大画像:確かに他の使徒に比べ女性的に見える。)

    テンプル騎士団や魔女狩りのエピソードを描くことによって、中世ゴシック風の神秘性を演出させたかったのであろうが、過去の出来事は、「コールドケース」よろしく画像を粗くしたハイ・トーンの映像で処理したことによって、かえって中世の神秘性が損なわれる結果となっているようである。

    また、ミスキャストの指摘も免れないだろう。まず、トム・ハンクスは教授役には合わないし、この役、トム・ハンクスでなくてもよかったのではないかという疑問がもたげる。それに、オドレイ・トトゥはカワイっぽさが目立ち、彼女が出ているとどうもミステリーを観ているような気がしない。もう少し知的雰囲気と妖しさを兼ね備えた女優にやってもらいたかった。そして、ジャン・レノ、秘密結社に所属する警部には全く見えないし、宗教的雰囲気がまるでない。

    というわけで、こんな映画に入場料を払って観た観客は、何か得るものがあったのだろうか?

    私的甘辛評価 ★

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