読書

2009年8月23日 (日)

読まれなくなった宮城谷昌光

10年ほど前までは、出す作品、出す作品がベストセラーとなり、大脚光を浴びていた宮城谷昌光も最近はあまり読まれなくなっているようだが、彼の作品群でいちばん興味深く面白く読めたのは『孟嘗君』である。

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孟嘗君(田文) BC360年ころ生まれ~BC279年ころ没

時代は紀元前3、4世紀の春秋・戦国時代の戦国時代。このころは戦国時代の中でも華やかな時代であった。斉の都の臨シの人口は最盛期80万人近くまで膨らんだ。 中国全体の歴史から見ても個性の豊かな時代であった。諸子百家といわれるあまたの思想家が輩出され、イデオロギーに縛られず、精神の自由を謳歌していた時代でもあった。

また、中国のどこかで絶えず戦争が行われている状態であったが、人々が人間らしく生き生きとしていた時代でもあったといわれる。
本作は、読後、孟嘗君よりも白圭の印象が強く残るかもしれない。それは白圭の生き方が粋であり、孟嘗君も白圭の行き方に学んで成長していくことが読者の体験となるからである。

しかし、これは作者の創作である。作者は孟嘗君が生きた時代と白圭(魏の相から商人となる)が生きた時代が合うことから、このように結びつけたのであり、孟嘗君と白圭のつながりは明らかではない。ここでの養父関係は作家の想像力の賜物である。もちろん、風洪という人物は作者が創った想像の産物である。白圭の若いころの名前でもない。したがって、孟嘗君が白圭の影響を受けたことも明らかではない。(おそらく、その影響はなかったろう。)

宮城谷の作品で共通して言えるのは、小説手法として、教養小説、いわゆる主人公がさまざまな人の影響を受けて成長していくという『ビルドゥングスロマン』のかたちをとっているということである。簡単に言えば、五木寛之の『青春の門』の中国版である。ただ、主人公が歴史上の人物であることの違いではなかろうか。また、テレビだと『大河ドラマ』だと言えよう。それだけに、読めば読むほど、その世界に入り込んでしまう。私はそんな宮城谷昌光に黒澤明と同じようなヒューマニズムを感じとるとともに、彼の作家としてのドラマトゥルギーを感じる。

とにかく、この作品の登場人物や語られる人物がすごい、春秋戦国時代の名だたる者たちが名を連ね、これを読めば春秋戦国時代がおぼろげながらもわかるのである。

物語の冒頭、西日までも蔽ってしまう大木の槐の描写から始まる。田嬰の邸の2階の部屋までその陰を落とす。その陰になる部屋には田嬰の妾が住んでいる。その名は青欄。青い欄干のある部屋だから、青欄というのは、初めからこの物語は架空の物語ですと読者に断っているかのようだ。

物語の3巻までは、白圭の若きころの風洪の話と公孫鞅=商鞅と孫賓などの話である。孟嘗君=田文がそれらしく登場するのは第3巻の後半からであり、孟嘗君が活躍するのは第4巻から第5巻にかけてである。読者にとってはこれは孟嘗君の話ではない白圭の話だと思う方も多々あると思うが、司馬遷が残した史記列伝でも孟嘗君列伝は文庫本でわずかに15ページ程度。それもほかの列伝に比べて長いほうである。それを2巻にわたって描くことは並大抵ではない。そこに作者の力量が窺がわれる。

物語では、孟嘗君はさま ざまな人の影響を受けて『仁』と『義』を実践した人物として描かれる。また、その登場人物らの話が面白くできている。

『仁~人への愛』と『義~人としての道理、徳』は、儒学の根本であり、まるで孔子の論語を実践したかのようだ。そういう面ではこのまま道徳の本にでも使えそうである。

作者はこう語る。

儒教は、漢の武帝の時代に確立し、儒教国家中国の原型が出来上がってからというものは、中国社会の活力が失われていく。儒教が依拠するのは孔子が考える世界ですから、周を開いた周公旦の思想や人生観が理想とされる。古代の哲学・思想が、最上のものとして信奉されるようになる。漢の時代以降の思想や社会は、逆戻りを始めるのです。

しかしながら、この『仁』と『義』を作者が孟嘗君にあてはめようとしたばかりに、孟嘗君の印象が薄れてしまうことの要因にもなっている。私個人としては、物語である以上、もっと聡明さの中にも豪胆さと不敵な面のある孟嘗君を描いてほしかった。おそらく、数千人もの個性と癖のある食客を囲って統率していたのであるから、親分肌の面があったと思慮される。そうすれば白圭を登場させる必要もなかったのではないだろうか。

『仁』と『義』~仁義は仁侠映画等に使われやくざ言葉に勘違いされている~は、確かに人間として美しいことであるが、『仁』と『義』に生きれば、現代では『白痴』のムイシュキン公爵、『道』のジェルソミーナになるしかない哀しさがあるのも事実である。

実際の孟嘗君はどうだったのか。戦国4君子と呼ばれるところの孟嘗君、魏の信陵君、趙の平原君、楚の春申君の中では、最も年長であり、最も優れていたのではないか。斉の名宰相と言われた田嬰の多勢(40人近くいたとも言われる)いる子の中で、孟嘗君が後継に選ばれたこと自体、彼の優秀さをもの語る。

孟嘗君の逸話に、あるとき食客の一人が粗末な食事に怒り、孟嘗君は自分だけ特別な食事をしているのではないかと孟嘗君の食卓をのぞいたところ、孟嘗君も同じ食事であったことに、自分を恥じるとともに、孟嘗君の公平さに改めて信望したというものがあるように、孟嘗君は誰にでも公平に接したのであろう。

ともあれ、本作品は面白味十分であり、孟嘗君が生きた時代と背景を知るには十分過ぎるほどの物語世界を構築している。

< アクスコ倶楽部・『宮城谷昌光の物語世界・其の壱』より http://www.fiberbit.net/user/m31fb2/miyagitani_no_sekai.htm >

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2009年1月24日 (土)

アラン・ロブ=グリエのこと。

Cimg2929a (早稲田文学復刻第1号 追悼アラン・ロブ=グリエから)

アラン・ロブ=グリエが逝去して、もうすぐ1年が経とうとしている。実は、私は彼が亡くなったことを全く知らなかった。

彼の死を知ったのは、昨年の11月ころ、ある本屋で文芸雑誌のコーナーを見ていると、ふと「早稲田文学」に目がとまったからであり、もうとっくに廃刊になっていたと思っていた同誌が、たまたま復刻しているのを目に留めたからだ。

Cimg2927a(早稲田文学復刻第1号)

私は懐かしさもあり、手にとってみた。表紙だけ見ると文芸雑誌らしくない、アイドル路線のような体裁を整えている。ちょっと安っぽいなと思いながらよく見ると、そこに「追悼 アラン・ロブ=グリエ」の文字が浮かび上がった。

「えっ、ロブ=グリエが亡くなっていたの」と訝しりながら、ページを繰ってみた。そして、彼の追悼の特集がそこにあった。

アラン・ロブ=グリエという作家は、日本ではなじみが薄いかもしれないが、20世紀半ばフランスを中心に波及した「ヌーヴォー・ロマン」の代表的作家である。「ヌーヴォー・ロマン(新小説)」は「アンチ・ロマン(反小説)」とも呼ばれ、ミシェル・ビュートル、クロード・シモン、ナタリー・サロートなども「ヌーヴォー・ロマン」の作家である。

「ヌーヴォー・ロマン」は19世紀の自然主義的文学に反旗を翻したものであり、起承転結や過去→現在→未来という単一的な時間経過の描写を否定し、言葉が言葉を呼び、イメージがさらにイメージを呼ぶ、女が男になったり老人が少女になったりと非連続的な時間と発想に基づいた作品が多い。そう言えば、昨年、ノーベル文学賞を受賞したル・クレジオもその一人である。ル・クレジオなどは文章、文字までも否定した。たとえば、「彼は、○Ω▽×¢★と言った」というように。

Cimg2939a(『去年マリエンバートで』 アラン・レネ監督)

そして、フランスでは「ヌーヴォー・ロマン」と同時期、映画界では即興的演出などを特色とする「ヌーヴェル・ヴァーグ」が誕生することとなる。アラン・ロブ=グリエは、ただ単に小説家にとどまらなかった。映画通であればだれもが知っていると思われる、かの傑作「去年マリエンバートで」(アレン・レネ監督)のシナリオを執筆したのがアラン・ロブ=グリエなのである。また、成功したとは言い難いが、彼は脚本だけでなく映画監督さえもこなしたのである。

私がアラン・ロブ=グリエの名を知ったのは、学生のころに安部公房の対談集だったか、「砂漠の思想」という文集からだったからか、はっきり覚えていないが、そこで彼の作品の「消しゴム」か「覗くひと」だかの話が出てきて、面白そうだからいつか読んでみようと記憶に留めてからである。

当時(1974年 昭和49年)も彼の作品を本屋で見つけるのは難しく、私が彼の作品に最初に触れたのは、、『ニューヨーク革命計画』(1972年 平岡篤頼・訳 新潮社)という内容さえも想像できないタイトルの作品であった。

Cimg2934a( 『ニューヨーク革命計画』 )

この作品は、木目から想像したら女からイメージが膨らみ、イメージが動き出し、ついには探偵小説の表紙の絵になってしまったり、不良少年Mがマスクをとると地下鉄の吸血鬼Mとなってしまったり(Mからの連想)、アルファベットの並べ替えで名前が変わっていったりと、自由な発想が発想を呼び、テーマがテーマを呼ぶといった具合に進行していく。

日本でも、『センセイの鞄』でブームを呼んだ川上弘美が芥川賞受賞作『蛇を踏む』で、天井の木目かシミが蛇に見え、その蛇が女になってが女になり、作品の主体の“彼女”と会話をしたり、料理まで作るというのは、ロブ=グリエの手法を踏襲しているように思う。

Cimg2945a(月刊文芸誌『海』から『囚われの美女』)

そして、1977年に発行された文芸雑誌『』に、『囚われの美女』(岩崎 力・訳)が掲載され、私は嬉々としてペ-ジを捲った。その作品はルネ・マグリットの絵画から作家が着想したイメージを探偵小説的手法で小説にしたものだった。イメージがイメージを呼ぶ、まさにそうした作品である。

その後、1983年、ロブ=グリエは『囚われの美女』を映画監督作品として発表する。彼にとって、小説『囚われの美女』は映画『囚われの美女』ではない。彼の作法で行けば、決してA=Aとはならない。AはBになりCにもなる得るのだ。

ドストエフスキー流に言えば、

二二が四というのは鼻持ちならない代物である。二二が四などというのは、ぼくにいわせれば、破廉恥以外の何物でもない。二二が四などというやつが、おつに気取って、両手を腰に、諸君の行手に立ちはだかって、ぺっぺと唾を吐いている図だ。二二が四がすばらしいものだということには、ぼくにも異論がない。しかし、讃めるついでに言っておけば、二二が五だって、ときには、なかなか愛すべきものではないのだろうか。」(『地下室の手記江川 卓・訳 新潮文庫)

ということだろうか。

そんなわけで、今日、BS2でかなり以前に放映されて録画していた映画『囚われの美女』を観なおしてみた。イメージで描かれた作品であるから、30年近くたった今でも古さを感じさせない。逆に、新しくさえみえてしまうから不思議だ。

映画『囚われの美女』と小説『囚われの美女』は、不良少年Mと同じように、マグリットという共通要素だけでつながっている。小説『囚われの美女』が探偵小説風に描かれていたのに対し、映画『囚われの美女』はスパイ映画風に描かれている。

ある夜、ナイト・クラブで踊るブロンドの美女に見とれるヴァルテル(ダニエル・メグイシュ)は、女ボスのサラ(シリエル・クレール)から電話で指令を受けるが、指令を受けている間にブロンドの美女は姿を消してしまう。

その指令というのは、コラント伯爵に手紙を届け、その返事をもらってくるという単純な仕事であったが、手紙を届ける途中、怪我をして道路に横たわるブロンドの美女(ガブリエル・ラジュール)を発見する。左足大腿部を負傷している彼女は、不思議なことに後ろ手に鎖のようなもので縛られている。

Cimg2921a <(怪我を負った謎のブロンド美女を車に乗せ病院を探しているシーン)

彼は手紙よりも彼女の手当てをすることを優先して、車を飛ばしある屋敷に駆け込む。その屋敷には正装をした男たちが集まっており、医者と名乗る男が二人を部屋に案内し鍵をかけ閉じ込める。そこでブロンドの美女は、あわてることもなくヴァルテルを誘惑する。

翌朝、ヴァルテルが目覚めると彼女の姿はなく、彼の首には吸血鬼に噛まれたような傷ができており、屋敷の中は嵐が去ったあとのように荒れ果てていた。しかし、外の世界は嵐の痕跡はなかった。

屋敷を出て、とあるカフェに立ち寄ったヴァルテルは、ウエイトレスが読んでいた新聞の一面に、大きく彼女の写真が掲載されていることに気づき、ウエイトレスに訊ねると、彼女はマリー・アンジュという名で、彼が手紙を届ける相手のコラント伯爵の婚約者であり、婚約直前に失踪したと言う。

ヴァルテルがコラント伯爵邸を訪ねると、伯爵がたった今、心臓発作で急死したことを告げられる。そして、その死に立ち会っている医師は、昨日部屋に閉じ込めた医師(この場合医師を同じ俳優が演じているのは意味がない。例の如く“医師”つながりで同じ俳優が演じているだけである。)であった。更にそこで、ヴァルテルは彼女が6、7年前に交通事故で死んだことを知る。

ヴァルテルとボスのサラとは恋人であるのかベットをともにする。そこで観る夢。ヴァルテルはマリー・アンジュが海辺で武装した男たちに取り囲まれている夢を見る。その朝、サラもヴァルテルが大声を上げる夢を見たと言うのだ。

ヴァルテルが部屋から出て車で帰る途中、マリー・アンジュが道路にまた横たわっていた。そこへ対向からトラックが現れ、武装した男たちとサラがトラックから降りてくる。男たちはヴァルテルに銃口を向け、ヴァルテルは大きな悲鳴を上げるのだった。

Cimg2925a

小説『囚われの美女』が38枚のマグリットの絵画からイメージされて描かれているのに対し、映画『囚われの美女』は、マグリットの絵画のイメージはでてくるものの大きな要素を占めていないように思える。映画は「死」で満ちている。それは、ブロンドの美女を死神とするイメージとしての『死の舞踏』、『死と乙女』、そして『吸血鬼』ではないだろうか。

最近、大手通販でアラン・ロブ=グリエで検索してみたら、『覗くひと』、『迷路の中で』、『反復』の3冊が比較的容易に手ごろな価格で購入できそうなので、この3冊を読むことで、私なりの1周忌追悼としたい。

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2008年9月26日 (金)

ドストエフスキー・父殺しの文学

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亀山郁夫・著 『ドストエフスキー 父殺しの文学』 (上下巻 2004年 NHKブックス)を読む。

亀山郁夫といえば、近頃、『カラマーゾフの兄弟』(全5巻 光文社文庫)の新訳でベストセラーとなり、評判をさらった。30万部近く売れたそうであるが、第5巻の刷数が第1巻の半分であることを思えば、最後までたどり着いた人は、4分の1程度かもしれない。

さて、本書であるが、12回の講義式で記述され、ドストエフスキーの生い立ちから、ほぼ全作品までの解説に至っている。

しかし、本書に新しい発見はほとんどないといってもいいだろう。なぜなら、過去の著名な文学者や評論家の文章を寄せ集めた感があるからだ。

本書の主題はタイトルどおり、ドストエフスキーの父殺しである。それは、『カラマーゾフの兄弟』における父殺しではなく、作家 フョードル・ドストエフスキーが18歳の時、父 ミハイル・ドストエフスキーが農奴から殺害された件に、フョードルの精神的な関与(父親が死んでほしいと願っていたことから、農奴に対する教唆、間接正犯的立場があったのではないか)などがあったというのもである。そして、イワン・カラマーゾフの告白の中に、自己を投影させているというものであるが、なにもそれは、亀山郁夫が初めて解き明かしたことではない。

心理学者のフロイトらの研究によって、そうした説が、ごく一般的に示されていることである。フロイトは、ドストエフスキーの持病である癲癇を「憎らしい父親(カラマーゾフの兄弟の淫蕩な父・フョードル・カラマーゾフに模している)が死んでしまえばいいと思ったことに対して、自分自身に下す罰である」と説いている。だから、亀山郁夫は、そうしたテーマを再度読者に提示したに他ならない。

本書の帯に示すように、「神がなければ、すべては許される」が、ドストエフスキー最大のテーマであった。それは、『罪と罰』から『カラマーゾフの兄弟』に至るまでの作品に込められたドストエフスキー自身の生涯における問いであった。

ドストエフスキーは、「神は死んだ」(=神の不存在)ことを知りながらも、「イエス・キリストとともにありたい」と願った。それは、彼の臨終の間際までも思い続けた想念に違いない。

彼はハンス・ホルバインの描いた『死せるキリスト』を観た段階で、復活不可能である神の死は決定的となった。

しかし、ドストエフスキーは『神の死』=『イエス・キリスト』の不信ではなかった。彼の平和主義的思想はイエス・キリストなくして成り立たなかったのである。いや、心の拠り所として、あるいは支えとして、そう信じたかったのであろう。

Kirisutonoigai1 (『死せるキリスト』 The Body of the Dead Christ in the Tomb 1521 ~ 拙サイト『夢の美術館』に掲載)

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2008年6月15日 (日)

『予告された殺人の記録』と秋葉原無差別殺傷事件

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(月刊文芸誌 『新潮』 昭和58年2月号)

今から30年ほど前、ホルヘ・ルイス・ボルヘスを中心とするラテン・アメリカ文学のブームがあった。フリオ・コルターサルバルガス・リョサドノソアレッホ・カルペンティエール、そして、アルゼンチンの作家ガルシア・マルケスもその一人であった。

ガルシア・マルケスは『百年の孤独』などで1982年にノーベル文学賞を受賞した作家であり、『百年の孤独』は日本の焼酎の銘柄にもなっている。もちろん、マルケスの作品から名づけたものである。

マルケスが、ノーベル文学賞をとったあとに邦訳されたのが、『予告された殺人の記』(1981年)であり、邦訳されたのは1983年(昭和58年)、月刊誌『新潮』(昭和58年2月号)が初出となる。

今では文庫本にもなっているが、愛書家でもある私は、その『新潮』を後生大事に25年もの間、蔵書の中の一冊として書架に並べている。

『予告された殺人の記録』は、偶然が人々の間でいくつも重なることによって、十分に予告された殺人が行われてしまったことの不合理さをルポルタージュ風に描いた作品である。

この物語を語るのは、殺害されたサンティアゴ・ナサールの友人である「私」であるが、その「私」が、27年前の事件を辿ることによって、どうしてサンティアゴが殺されなければならなかったかを解明しようとするものである。

物語は、ラテン・アメリカのある町に花嫁を探しにやってきたバヤルド・サン・ロマンが、アンヘラ・ビカリオを見染め結婚するのだが、彼女が処女でなかったことで、アンヘラは実家に送り返され、それを知ったアンヘラの兄弟(パブロとペドロ=ビカリオ兄弟)が、家の名誉のため、彼女の処女を奪ったとされるサンティアゴを殺害するという、一見単純な物語であるが、サンティアゴが殺されなければならなかった事実を追究しようとすると複雑さを極めていくのである。

ちなみに、『予告された殺人の記録』は、1987年にフランチェスコ・ロージ監督によって映画化されているが、こちらの方はサンティアゴ・ナサールの親友であり、医師であるクリスト・ベヤド(ジャン・マリア・ボランテ=ジャン・マリア・ヴォロンテ)が、サンティアゴ殺害の真実を知るために、27年ぶりに町に戻ってくるという設定になっている。

こちらの作品は、ほぼ原作に忠実に描かれており、『予告された殺人の記録』を理解する上で観ていて損はないと思えるできである。

ビカリオ兄弟はサンティアゴを殺害することを公然と町中の人々に言いふらす。ビカリオ兄弟にとって、ビカリオ家の名誉を守るためにサンティアゴを殺すことは、いわば町の掟を履行することと同意義であった。また、公然と言いふらすことで、誰かが止めてくれるという期待もあったのである。それは、昔ながらの共同体の自浄作用でもあった。

実際、一度は町長らによって彼らがもっているナイフを取り上げられている。

村人のほとんどはサンティアゴが殺されようとしていることを知っていた。中にはサンティアゴの家の門の下に手紙を差し入れて知らせようとした者もいたが、サンティアゴやその召使らも、手紙に気づかないままでいた。

サンティアゴを知る関係者らはサンティアゴが殺されないようにと手を尽くす。しかし、サンティアゴの行方が分からず、彼に伝達できたのは彼が殺される少し前であった。

身に覚えのない殺人予告に、理解できないでいるサンティアゴ。町の人々が逃げろというのにもかかわらず、彼の足どりは重い。そして、自分の家までたどり着いた時には、いつもは開いているはずの門が閉まっており、衆人環視の中でサンティアゴはビカリオ兄弟にナイフでめった突きにされ殺されてしまう。

その後、検察官による関係者らの聞き取り調査で、サンティアゴがアンヘラと関係をもっていたという事実は立証できなかった。

ビカリオ兄弟にとって、サンティアゴを殺害するという行動は、名誉を守るためにやらなければならないことであり、そして、それは阻止されれば果たされなくてもよかったものでもある。

おそらく、本当にサンティアゴを殺害してしまったことは彼らの予想外のことであったろう。本来は、みんなに阻止されるか、サンティアゴがしばらくの間姿を隠すことによって終わるはずの出来事であった。

それにもかかわらず、殺害の目前までそのことがサンティアゴに伝わらず、普段開けているはずの家の門が、サンティアゴの母親が息子は二階にいると召使の言葉を信じて、ピカリオ兄弟を中に入れさせないために門を閉じてしまったことなど、偶然に偶然が重なって起きたのである。

この作品には、本来の町(共同体)の防犯機能が働かなくなった現代の状況が凝縮されているように思える。マルケスはそうした共同体の崩壊を危惧しながらこの作品を描いたのではないだろうか。

一方、6月8日に起きた秋葉原での無差別殺傷事件の犯人は、自分の携帯サイトに犯行予告をし、実況中継風にコメントを書き込んでいる。彼は、誰かが止めてくれるのを期待していたという。

それが、ただの弁解で、本当のことかどうかは分からない。また、誰も見てくれていない自分のサイトに理不尽な怒りをたぎらせた孤独な男の行動とはいえ、どこか、『予告された殺人の記録』を彷彿とさせる供述ではあるまいか。

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2008年3月 6日 (木)

供述によるとペレイラは…

30721994_2 アントニオ・タブッキの『供述によるとペレイラは…(須賀敦子・訳  白水Uブックス)を読む。

ファシズムの影が忍びよるポルトガル。リスボンの小新聞社の中年文芸主任が、ひと組の若い男女との出会いによって、思いもかけぬ運命の変転に見舞われる。タブッキの最高傑作と言われる小説。

と背表紙にうたわれている。

舞台は1940年のポルトガルの首都リスボン。ペレイラの供述をもとに2年前(1938年)の出来事が語られるという図式である。

1938年といえば第2次世界大戦が勃発する前の年であり、ヨーロッパではドイツやイタリアのファシズムが台頭し始めていた。当然、ポルトガルもその影響を受け、当時の首相・サラザールの独裁政権はファシズムそのものであったようである。

主人公・ペレイラは、かつて大手新聞社の社会部で30年間勤めていたが、今では『リシュボア』新聞という発刊されたばかりの文芸面の編集長をしている。ペレイラは甘いレモネードとオムレツを好む中年太りで頭の禿げあがった男である。

子供に恵まれず、数年前に妻を亡くし、妻の写真に向かって日々の出来事を話すことを日課にしている彼は、政治には一切関心がなく、魂の存在は信じても世の終わりに肉体が復活するということは信じないという少し変わったカトリックでもあり、平凡な一生を過ごすはずの小市民でもあった。

そんな彼が、ある日、手にとった雑誌に掲載されていたリスボン大学の哲学科を首席で卒業したフランセスコ・モンテイロ・ロッシの卒業論文に目がとまり、理由もなく

我々の存在の意味を何よりも深く、また総体的に特徴づけているのは、生と死の関係である。というのも、死が介在することによってわれわれの存在に限界がもうけられている事実が、生の価値を理解するには決定的と考えられるからだ

という部分を書き写したことにより、彼の運命が大きく変わってしまうのであった。

ペレイラは、ロッシなんて変わった名前はほとんどいないだろうと電話帳をめくり、ロッシという姓の電話番号を発見し、思わず電話をかけてしまう。自分でもどうしてそういう行動に出たかわからず、その電話の過程でロッシをリシュボア新聞の文芸面のコラムを定期的に担当する契約社員として雇うことになる。

しかし、このロッシは曲者であり、学位論文は盗用で、彼がペレイラに送ってくる原稿は、政治色のない無党派としてのリシュボア新聞にそぐわず、使い物にならないものばかりであった。

ペレイラはロッシを解雇するつもりでいながらも、彼及びその彼女・マルタに会うたびに、そのことが言い出せなくて、逆に彼らに不穏な匂いをかぎながらも彼らの魅力に負けて、ずるずると彼らに自分のポケット・マネーで原稿料を払い続けるのだった。

実は、ロッシとマルタは国家警察から追われる反ファシズムの活動家であり、ペレイラはそうとは知らず…あるいはそうであるかもしれないという危惧を抱きながらも…彼らをかくまってしまうのである。

そして、予期もしない大事件が発生し、小市民として平穏に生きるはずだった彼が、今までにとったことのない大胆な行動に出るのだった…。

この作品は、終始、「供述によるとペレイラは…」という伝聞形式で書かれている。ペレイラが捜査機関に身柄を確保された後、録取された供述調書を第三者が語っているかのようにみえる。しかし、それがまったくの第三者なのか、あるいはペレイラがそうした手法を用いて自らの体験を客観的に語らせているのか定かではない。

タブッキが描いているのだから、ただ単に第三者が語っているとは私には思えない。私としては後者であると想像する。なぜなら、供述調書にまでしないであろう仔細な部分があまた語られているからである。

おそらく、タブッキ・ファンは、彼の作調とは違った本作にとまどうことだろう。わかりやすいと言えば、これまでの形而上学的な作品と違って、非常にわかりやすい。しかし、それはタブッキ調の不可思議な文章から発せられる魅力を伴わないものである。

私としては、まるでヴィスコンティの『家族の肖像』(1974年・伊)をアレンジしたようなこの作品がタブッキの最高傑作とは思えなかった。もしも、『家族の肖像』がなかったら傑作であると思えたかもしれないが、所詮二番煎じは二番煎じでしかないのだろうか…。

私が、この作品を読んで、なるほどと思った文章が1箇所だけある。それを最後に引用しよう。

哲学は、真理のことしかいわないみたいでいて、じつは空想を述べているのではないだろうか。いっぽう、文学は空想とだけ関わっているようにみえながら、本当は真理を述べているのじゃないか。

ちなみに、本作はマルチェロ・マストロヤンニ主演で映画化されているが日本未公開である。

(原題 『Sostiene Pereira』 1994年作)

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2007年12月30日 (日)

『海辺のカフカ』を読む

Photo_2 村上春樹を初めて読んだのは、遠い昔、約30年前のことである。彼のデビュー作『風の歌を聴け』(1979年)がそうだ。

当時、私は月刊の文芸誌、「新潮」、「文学界」、「海」などまで読んでいたが、登場人物の名前のつけ方から大江健三郎の影響を受けたと思われる『風の歌を聴け』は群像に掲載され、その年の群像新人賞に選ばれた。この作品は小林薫主演で映画にもなったし、確か芥川賞の候補にもなったはずである。

そして、次に読んだのは『1973年のピンボール』だったと思う。いずれも寓意に充ちた作品で、その文体には興味を持ったが、その作品の持つ意味に私の興味を惹くことなく約30年が経った。

もっとも、その間に『ノルウェイの森』も読んだが、洋楽を羅列したような文章に、最後まで読む気もなくなり放棄した。そして、なぜこの小説がベストセラーになるのかという疑問しか残らなかった。

私が『海辺のカフカ』を手にとったのは、ただ単に“カフカ”という言葉に惹かれてに過ぎない。それは、私がフランツ・カフカ(チェコの作家)を好きだという理由以外はない。

この小説に出てくるカフカは、当然のように、作家フランツ・カフカを意味したとしても、そのカフカではない。“田中カフカ”という15歳になったばかりの少年である。

なぜカフカという名前をとったかについては、村上春樹自身が語っているように、この作品が作家カフカへのオマージュでもあるからである。また、作品中、少年・田中カフカがカフカの意味を聞かれ、チェコ語で“カラス”を意味すると答えさせている。

作品の冒頭、主人公の少年(田中カフカ)の内面の声としてカラスが登場し、「君はこれから世界で一番タフな15歳の少年になる」と少年の耳もとで囁かせる。その後もこのカラスは時折登場するが、カラス=カフカ=少年という図式がここにある。

また、レイモンド・チャンドラーの作中の主人公フィリップ・マーロウの「男はタフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく資格がない」という言葉が重ねられているのではないかと思われる。

ともあれ、『海辺のカフカ』は、この田中カフカという少年の話と田中を逆にした“ナカタ”(中田)という初老の男の話しが交互に語られ、パラレルワールドとして本来交わらない話が、これまた当然の帰結のように、最後には結びつくという予定調和的な世界として文庫本で約1000ページにもわたってテンポ悪く延々と語られる。

作中、「世界の万物はメタファーだ」という言葉が登場するが、この作品を“読み解くキー”そのものが“メタファー”なのである。“メタファー”とは、日本語で「暗喩」とも「隠喩」とも訳される、通常の言葉では言い表せないものをこの“メタファー”を使って表現しようとするものである。

たとえば、冒頭登場する“カラス”自体がすでに田中カフカという少年の内面の呟きの“メタファー”になっているのである。そして、作家カフカが『変身』で登場させた“毒虫”もまた“メタファー”であり、“田中カフカ”はフランツ・カフカの“メタファー”でもあるのだ。

また、“ナカタ”という初老の男は、小学校の時、疎開先で原因不明の集団昏睡事件で、ただ一人最後まで記憶が戻ることのなかった子供で、読み書きはできないが猫語をしゃべることができる全くの無害な人物として描かれる。しかし、“ナカタ”もまた主人公の少年の父母を死に導く死神的な“メタファー”にほかならない。

もっとも、この作品自体が生と死の意味を隠した“メタファー”そのものなのである。

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2007年9月16日 (日)

エデンの東 ジョン・スタインベック

Eastofeden_5 おそらく、『エデンの東』は著作よりも映画の方が名が知れているだろう。

しかし、映画はこの作品の5分の1程度のエピソードにしか過ぎない。

よって、映画を観て『エデンの東』を読んだつもりになるのは大きな間違いなのである。

中には小説や文学を超える映画もある。でもそれは、ほんの一握りの映画作品にしか言えないことである。

スタインベックは『怒りの葡萄』でピューリツアー賞を受賞し、その後の『エデンの東』等の作品によってノーベル文学賞を受賞することになるが、彼の主だった作品はこの2作に過ぎない。

私がこの作品を読んだのは、1年ほど前のことである。読んだ感想を書こう、書こうと思っていて、他の本を読んでいて書けなかった。

いや、そうではなく、この作品はあえて読む必要がなかったと思っていたからである。

私には、この作品の感想を書くよりも、金庸の一連の作品の感想を書く方が大事だし面白いと思ったのである。

では、どうして今ごろということになるが、今読んでいる金庸の作品『天龍八部』の第5巻が手元に来るまであと2、3週間ほどかかるからである。その合間、することがなくて、ここに記しておこうと思ったのである。

ところで、『エデンの東』だが、その内容は帯に記されているとおり、「親子の葛藤はなぜ繰り返されるのか?」である。この物語の中心はアダム・トラスクという成り上がりの地主を軸にして、その父・サイラスの物語、そして、カイン・コンプレックスと呼ばれる普遍的かつ異形の兄弟愛によって人生を弄ばれるアダム・トラスクと異母弟のチャールズとの確執、アダムの子・キャルとアロンの兄弟との確執を親子3代にわたって描いている。

その点、エリア・カザン監督による映画『エデンの東』は、キャルのエピソードのみに過ぎない。(ハイヴィジョン映画 私的甘辛評価にすると『★☆』程度か。)

旧約聖書のカインとアベルのエピソードでは、神への供え物として、神はアベルが供えたもの受けとったが、カインのものは受けとらなかった。カインは屈辱と怒りのあまり弟のアベルを殺してしまう。それを知った神は、カインを「エデンの園」の東の「ノド」という地に追放するのである。

このエピソードをもとに、極端な善と悪の人物を配置し、物語は進む。つまり、父・サイラスの「悪意ある血」がチャールズへ、アダムの妻・キャシーの「悪意ある血」がキャルに受け継がれ、同じことを繰り返す。旧約聖書と違って兄が「善」、弟が「悪」にシチュエーションが変化しているだけである。

しかし、アダムの妻であったキャシーの「悪意」というものは、筆舌しがたいほどのものであり、読者の想像を超えるものであろう。読むだけで嫌になる女である。それだけにリアリティにかける。そんな女をアダムが追いかける姿は滑稽にしか見えない。

この物語が、人間の業は血により受け継がれるものであるとして描いたのであれば、あまりにリアリティにかけると私は思うのである。

そして、この作品のテーゼである「親子の葛藤はなぜ繰り返されるのか?」の答えは、「血」なのである。

しかしながら、この問いはすでに発せられている。それは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』において語られているのである。奔放・強欲かつ女たらしの父であるフョードル・カラマーゾフ(彼もまた地主である)の血を受け継いだ、彼の末っ子である僧侶・アリョーシャは、自分の体内に父の血が流れていることに、いつか自分が父と同じようになってしまうのではないかという虞を常に抱いている。僧侶として善であり続けなければならないアリョーシャにとって、それは「死」と同じくらいの恐怖なのであった。

『カラマーゾフの兄弟』は未完であるため、アリョーシャが悪に染まるシーンは描かれていない。しかし、ドストエフスキーの創作ノートでは、アリョーシャが皇帝を暗殺に至る構想が練られていたのである。

ドストエフスキーは、善と悪が人間に同居すること、それは親子の血によって受け継がれる業であることを描こうとした。しかしながら、『エデンの東』の登場人物たちの善と悪には、それが感じられない。徹底した善と悪が描かれるだけである。

おそらく、スタインベックは、『エデンの東』を現代版『カラマーゾフの兄弟』として描こうとしたしたのであろうが、その意図は成し遂げられていない。『カラマーゾフの兄弟』が未完であっても、血と善と悪の問題は既に描かれた主題であり、『カラマーゾフの兄弟』があれば、『エデンの東』はいらないと私は思うのである。

『カラマーゾフの兄弟』が100年後に残ったとしても、『エデンの東』は残らないだろう。

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2006年5月30日 (火)

『辻』 ~ 古井由吉 2

Cimg9977mmここは、誰にも見えないが、辻なのだ、と言った。四方から道が集まってここで消える、出て行くと見えるのは、見せかけに過ぎない、人もここに差しかかっては失せる、それでも繰り返し差しかかる、先へ先へ惹かれて熱心にやって来る、もう済んでいるのも知らずに、と言った。

『半日の花』の結びの一節である。廃墟らしき場所に主人公の森中が佇んでいるところへ、既に亡くなっている森中の友人・青垣の声がしたのである。

・・・暗いところだなあ。

・・・何も見えない。

・・・ひとつ間違えると、どこに運ばれるか、わからないものだ。

・・・そうなのだ。その間違いはしかし常に、一歩一歩に、ひそむのだ。一歩ごとに、すでに間違えているのにひとしい。とうに間違えているのにひとしい。

その声は夢でもなく、幻聴でもなく、記憶の一片であった。35年前、日曜の午後、森中と青垣が過ごした半日の花見での会話の記憶であった。

そうした記憶のかけらが、ふとしたことでよみがえる。不思議な半日の記憶。

青垣は言う。

目が見えなくなる、石のように見えない。何の報いで見えなくなったのか、知っている、とうに知っていた、よくよく知っているので、考える余地もない、考えもしないでいたので、何がはじめにあって何が起こったのか、覚えがない、しかし現実なのだ。

と、森中は青垣が気が振れているのかと思ったが、覚めるから夢なので、覚めても現実とは、通らない話だろうな結んだ言葉に、青垣の際立った思慮深さを認め、狂ってはいないと感じる。

『半日の花』は連作の中でも不思議な一編である。私は2度繰り返し読んだ。おそらく、さまざまな解釈が、読み手には残される。どことなく、アントニオ・タブッキを思わせるような作品でもある。

彼の、すでに死んでしまっている自分を探す旅のように、この作品では、すでに死んでしまった友人の言葉に思いを馳せる自分だけでなく、すでに死んでいる自分が、生前の友人の言葉に死後においてさえもいまだに執着している姿、あるいは思念といったものが、そこに描かれているような気がするのである。

いや、もう死んでしまっているのも同然の自分を、35年前の僅か半日にしか満たない青垣との言葉のやりとりの記憶の欠片を借りての内省・・・それを誰もが差しかかる「辻」に見立てて描いているといった方が正しいのかもしれない。

そう、それも、もう済んでいるのも知らずに

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2006年5月19日 (金)

『辻』 ~ 古井由吉

Cimg0608a_1古井由吉をはじめ後藤明生、黒井千次、小川国夫、田久保英夫、坂上弘らが『内向の世代』といわれて久しい。というより、1970年頃に、文芸評論家の小田切秀雄が批判的に名付けた『内向の世代』という文学が、その批判に反して現代文学に息づき浸透した証の代表的存在が古井由吉なのである。

金沢大学ドイツ文学部助手であった古井由吉が文壇に登場し、昭和45年の『杳子』で芥川賞を受賞してから36年の月日が経つ。彼は来年70歳になろうとしている。ここ最近の彼の著作を読んでいると、老境にいたった観が強いが、それは職人にすれば熟練ということであり、私には熟練の頂点に立ったのではないかと思われるのだ。

つまり、彼は現代日本文学の頂点に立っているということである。彼は一環として生と死の狭間、現実と夢の狭間、日常と非日常の狭間を一貫して描き続けてきた。そうした不確かな部分を文字にして著す作業は、これが全ての完成形だという終点がないだけ、困難なものに違いない。

だが、どうだろう、彼の文章には敢えて生と死を強調しなくても濃密な生と死が漂っているではないか。それは一文字、一文字読み進めるごとに醸しだされてくる。

本作は『辻』をテーマにした12の短編の連作である。辻とは、通り過ぎようとする辻、通り過ぎたかもしれない辻、通り過ぎてもまた現れる辻、存在した辻、存在しなかったかもしれない辻であり、その辻で人の出会いや別れがあり、その辻で夢を見、その辻で夢を見失ったりする。道と道が交差する辻だけでなく、人と人が交差する辻、人の夢と夢が交差する辻、人の生と死が交差する辻、そして人の血と血が交差する辻なのである。

彼は言う、「
辻と言えば、普通は人生の岐路を連想する。僕も最初はそうだったが、書くうちに意味が膨らんだ。通り過ぎたつもりなのに再び現れた辻、気がついたら通り過ぎていた辻、人生は目に見えない辻で満ちているのではないか」と。

そして、彼がこの作品を書き始めたきっかけが、ギリシャ悲劇の『オイディプス王』の一場面、オイディプスが、父とは知らず、その父を殺してしまう場所が辻であり、終盤全ての事実を知り自分の目をつぶしたオイディプスが『
例の辻よ、覚えているか』と叫ぶ。その過去の辻に呼びかける言葉が妙に響いたことだと言う。

辻にまつわる連作は、読み進めるうちに文字を連ねる文節あるいは文章と文章の隙間のいわゆる行間が広がり、そこにイメージが滾々とわいてくる。
たとえば、評論家がとりあげることはないと思われる「林の声」の序盤の終わり部分、


出会ってまもない、中年へかかる男女の間で交わされる身上話には違いなかった。しかし身上話にしては、佐岐の口調にまるで粘りがない。話すひとつひとつは記憶に刻みこまれているようだが、傷みなり恨みなりによって前後が繋がることもなく、点々と孤立して、長い年を渡る風に、ただ淡い哀しみを浮かべて、吹かれている。

からはじまる僅か11行の一節、そこには、ただほんの一瞬に過ぎない時間にも限らず、膨大な時空を行き来する夢のように、短い文章の中に子供から今に至るまでの時間と空間が凝縮されているのである。「・・・前後が繋がることもなく、点々と孤立して・・・」とは、まさに夢そのものの記述であり、人の頭脳は、それ自体は断片で映されているのにもかかわらず、連続したイメージに修正するため、極短い夢の中にそれ以上の長い時間を感じるのである。

手にとってしまえるほどの大きさでしかない書物に違いないが、披いて項を繰るごとに無限の時間と空間がひろがって行く。そんな作品が本作である。(新潮社2006.1.25発行)

Cimg0601m_1 (MY BOOKにも同文掲載)

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