写真

2007年10月 4日 (木)

都市の風景2 ~ Dショト

Cimg9283a遠くから聴こえる打楽器の音、祭囃子の音と思いきや近づけど、祭りらしき風景はなく、眼前に出現したのは、あるパチンコ屋の開店を告げるちんどん屋の音色であった。

幼少のころは、よく見かけたものだが、最近は、ごく偶にその姿を見かける程度である。

ちんどん屋の起源は江戸時代にさかのぼるらしいが、戦後の復興期が最盛期だったようで、高度経済成長とともに衰退していった。

今では、ちんどん屋を生業としている人たちは、全国でも数百人ぐらいしかいないらしいが、多くの文学作品にも登場するちんどん屋は、戦後復興期の下町の風情には欠かせないものであったように思われる。

どことなく田舎くさいのであるが、田舎にはそぐわず、忘れ去られようとしている都市の一隅での風景の一コマとして登場するのがお似合いなのが、ちんどん屋なのであろう。

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2007年7月16日 (月)

キリストの受難と時計草~Dショット

Cimg2076aaとある精神科医との仕事上の打ち合わせを終えての帰り、薬局の隣の民家に、何やら不気味な花が咲いているのが目に止まった。

やたら大きい。直径8㎝~10㎝くらいあるだろうか。そして、いろんな色がありすぎる。それも地味な紫系統の色が。

ブラジル原産、和名は『時計草』、英名で『パッション・フラワー』というのだそうだ。

「時計」は、3つに分裂した雌しべが時計の長針、短針、秒針、副花冠が文字盤のように見えるかららしい。

英名の「パッション」は、情熱のパッションではなく、メル・ギブソンも映画化した『パッション』~キリストの受難~を意味し、南アメリカを旅行中のスペインの宣教師たちが、雄しべの花柱をキリストに、副花冠を後光にみたて名づけたようである。

残念ながら、私にはそのどちらにも見えないのだ。足をすくませるほど異様な雰囲気がある花、どことなく鳥肌が立つような「おぞましさ」を感じさせる花である。

そして、この花の実には、そんな印象とは裏腹に、鎮静、精神安定の効能があるという。

人と同じで、花も見かけによらないものだ。

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2007年4月20日 (金)

都市の風景 ~ Dショト

Cimg0174a都市の風景、それは何も高層ビルや繁華街、人ゴミだけとは限らないだろう。

都市には不思議な魅力がある。でも、それは人によって受け止め方が違うだろう。

私にとっての都市、それは、決して迷うことのない世界であり、一人でいる限りにおいて、誰からも干渉されることのない世界、孤独をエンジョイできる世界なのである。

情報が氾濫し、よそ者が気兼ねなく自由に闊歩できる。さらには、裸でない限り、どんな服装をしていようと咎められることはなく受け入れてくれる世界。

そして、男と女が誰はばかることなく、公然と手をつなぎあい、抱きしめあえる。それが都市である。

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2007年3月31日 (土)

都会の一隅 ~ Dショット

Cimg0204a別に今日撮った写真ではないが、いつ撮った写真でも、今日何かを感じることができれば、今日の1枚にもなるし、それが永遠の1枚にもなるかもしれない。

写真は自分の観える世界の書割である。つまり一部でしかない。しかし、一部であっても全体を表わすこともできるし、もちろん一部にしか過ぎないこともある。

『都市の一隅』と名づけたこの絵も別に都市でなくてもいいのだ。都市を『心』にしてもいいし、『夜』に替えてもいいだろう。

影は時に、その人の様相を物語らなくても、その人の内面を表わすこともある。逆にその人の真相を包み隠してしまうことだってあるだろう。

そして、光あるところに幸福があるとは限らず、また闇が哀しみを深くするとも限らない。

私は、光のあたっていない影・陰の部分にこそ興味を覚えるのである。

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