武侠小説

2009年1月11日 (日)

金庸の世界・越女剣

Etujyoken中編集『越女剣(えつじょけん)』を読み終え、金庸の全作品を読破したことになる。思えば、金庸の最初の邦訳作品『書剣恩仇録(しょけんおんきゅうろく)』(1955年・著 1996年邦訳)が発売された直後、図書館に購入のリクエストしてから、私が『書剣恩仇録』を手にして、12年が経過した。

この間、金庸の作品が次々に邦訳され出版されるのを待ちわびながら、また、時には文庫本になることを待ちわびながら、金庸作品が読めることを楽しみにしてきた。しかし、それももう終わりである。

私が全作品を読破した作家は、ドストエフスキーと金庸だけである。両者に共通することは、どちらの作家もドラマツルギーだということである。読んでいて面白いし、退屈しない。その上、金庸はテンポが速い。

さて、『越女剣』は、「白馬嘯西風(はくばしょうせいふう)」、「鴛鴦刀(えんおうとう)」、「越女剣(えつじょけん)」の3編の中編からなる。

「白馬嘯西風」~白馬は西風にいななく~は、砂漠で両親を殺された李文秀(りぶんしゅう)がカザフ族の集落に逃げ込み、漢族の老人(けいろうじん)に救われて育てられ、カザフ族の少年・蘇普(スプ)と恋に落ちるが、蘇普の父親が妻を殺害した漢人を忌み嫌っていることから、蘇普との恋を諦める。その10年後、砂漠に迷い込んだ李文秀は謎の老人・華輝(かき)と出会い、武術を授けられ、計老人の家に戻ったところに、蘇普が恋人を連れて現れる。そして、そこへ、偶然にも両親を殺害した男たちが現れ、計老人らに襲いかかってくる…という物語である。

「鴛鴦刀」は、得たものは「天下無敵になる」といわれる鴛鴦刀の争奪戦を描いた物語。

「越女剣」は、歴史に名高い、越王・勾践と呉王・夫差の戦いを背景に、范蠡(はんれい)と西施(せいし)との有名な恋物語の逸話に神技ともいえる剣の妙技を会得している謎の羊飼いの少女・阿青(あせい)を絡めて描いた金庸の最も短い物語。

中編集『越女剣』は、長編作品のヒーローたちへの思い入れや執着もなく、あっさり読み終えられるので、最後に読む作品として、ちょうどいい内容の作品となっている。

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2009年1月 1日 (木)

『雪山飛孤』 DVDを観る。 

Setuzan(画像はMAXAMのHPから借用)

雪山飛孤(せつざんひこ)』(DVD-BOX 全40話)を12月27日から30日にかけて一気に観た。

観はじめたら、止まらなくなってしまう。 金庸の作品には、そんなストーリー展開の魅力がある。

このDVDは、金庸の『雪山飛孤』と『飛孤外伝(ひこがいでん)』の2作品を香港でTVドラマ化したものであり、原作を忠実に描いているとは言い難く、特に、物語のラストと袁紫衣(えんしい 原作では紫の衣装をまとっていることからつけられた仮の名)のエピソードは、「えっ!」と思えるほど変更、シナリオ加筆されている。

中国政府の検閲のせいか、原作では袁紫衣(鳳天南の娘)と鳳天南(ほうてんなん 袁紫衣の父)の父娘同士の仇討ちが、TV版ではただの父娘の確執劇に止まっている。また、袁紫衣は、実は円性(えんしょう)という名の尼僧であるが故に、主人公・胡斐(こひ)との恋愛は成就されないのであるが、TV版では袁紫衣の最期に胡斐と夫婦となっている。それも、袁紫衣は毒のために死ぬのであるが、原作にはそんなくだりはないのである。

そして、原作では胡斐と苗人鳳(びょうじんほう)の決闘中…原作では、この時でも苗人鳳の相手が胡一刀の息子・胡斐だと気づいていないのである…に、胡斐が最後の一撃を苗人鳳をあびせるか、胡斐が想いを寄せてしまったその娘・苗若蘭(びょうじゃくらん)の父親を殺せるのか(その場合、自分が死ぬかもしれないのだが)の2者択一のうちに終わるのだが、TV版では、苗人鳳が、この時には既に謎の死を遂げている田帰農(でんきのう)に捕らえられて拷問にあったり、この田帰農が射鵰英雄伝などに登場した周伯通(しゅうはくつう)が残した秘伝書を発見し、武術がパワーアップしているなど、原作にはないものが、その後も延々と続くのである。

他に違っているものは

① 陳家洛率いる秘密結社の名が紅花会からTV版は鉄花会になっている。

② 陳家洛は乾隆帝の実の弟なのにTV版は甥になっている。(史実ではない)

③ 袁紫衣が乗っている白馬は、原作では紅花会11番差配の駱冰(らくひょう)が胡斐の侠義に感動して、胡斐のために贈ったものであり、袁紫衣はそれを託されたに過ぎない。

④ 玉筆峰山荘に集まるのは、原作では田帰農ではなく、その娘・田青文(でんせいぶん)である。

⑤ 原作では、胡斐の母は胡一刀の死の直後、苗人鳳に胡斐を託し、自ら首をかき切って死んでいる。

⑥ 程霊素は自分の死をいとわず、胡斐の体内にある毒を吸いとって死ぬ。

など、他にも多数ある。

どちらかというと、TV版の方が原作よりも主要登場人物の運命が過酷になっている。それは、やはり視聴率とか袁紫衣をもっと登場させようとかいった理由があったのだろうか。

いずれにしても、ドラマとしても面白いことに変わりはないのだが、TV版は胡斐と袁紫衣、程霊素(ていれいそ)、苗若蘭との恋愛に重きをおいたきらいがないでもない。

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2008年12月21日 (日)

金庸の世界 ・ 鹿鼎記

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金庸の最後の武侠小説『鹿鼎記(ろくていき)』(全8巻・徳間書店)を読む。

これまでの金庸作品のヒーロー達のアンチ・ヒーローとも言える韋小宝(いしょうほう)が清王朝を舞台に破天荒の活躍をする物語であり、武芸の達人をヒーローに据える金庸ファンとしては期待はずれであろうが、韋小宝は歴代のヒーローをも凌ぐ天賦の才能によって歴代ヒーローもなしえなかった偉業を達成する。その過程における物語は、抜群に面白く、さすがに金庸だとうならせるほど満足のいく作品になっている。

『鹿鼎記』の主人公・韋小宝は、花魁の母のもとで郭で育ち、父親が誰なのか何人(漢人、満州人、チベット人…etc なのか、ここが物語のオチにもなっている)わからない私生児である。まだ弱冠13、4歳の子供で、文字の読み書きができない博打好きの少年、武芸はからっきしダメだが、頭の回転が速く、悪知恵が働き、金を集めること、金を有効に使うことに抜け目なく、しかも美女となると自分のものにしたがるという、これまでの金庸作品のヒーローとは一線を画する趣があるが、義を重んじるヒーローとしてみるとなんら変わりはないのである。

舞台は、1670年ころから1680年ころまでの清朝・康煕帝(こうきてい)の時代であり、康熙帝は即位後に起こった漢人(元々の中国の支配民族)の裏切り者である呉三桂(ごさんけい)らを中心とする三藩の乱を鎮圧し、鄭氏の降伏を受け入れて台湾を併合し、清の中国支配を最終的に確立させている。対外的には国境を接するロシア(ロマノフ王朝)とネルチンスク条約を結んで東北地方の国境を確定させ、外モンゴルとチベットを服属させた。

清王朝は中国最後の王朝であり、中国の外敵でもあった女真族(のちに満州族)のヌルハチを始祖とする。康煕帝はヌルハチの曾孫にあたる。

英雄好漢に憧れる韋小宝は、天地会の首領・陳近南に憧れている江湖の侠客・茅十八(ぼうじゅうはち)とひょうんなことから友達となり、一緒に上京した折、偶然の出来事で紫禁城に監禁されるのだが、そこで少年宦官になりかわっているうちに、幼少の康煕帝と親友になってしまう。康煕帝の韋小宝に対する信頼は日増しに篤くなり、最年少で宦官のトップに登りつめる。

韋小宝はその後も大いに康煕帝のために働き、康煕帝の歴史の「呉三桂らの反乱」、「台湾平定」、「ネルチンスク条約」などの重要部分において、幼い時から三国志や孫子などの講談を聴いて育ったせいか、軍略にもその逸話を応用して大いに才知を発揮し、中国国内だけでなくロシアに至るまで縦横無尽に活躍する。そして、ついには20歳前後の若さで清朝の一等鹿鼎公にまで上り詰めるのである。果てには、出逢った7人の美女をことごとく妻にした幸福な男でもある。

しかし、そんな彼は反清復明勢力の陳近南(ちんきんなん…天地会の総舵主 武芸の達人)率いる「天地会」の直弟子であり、武芸の達人ぞろいの天地会にあって、最年少ながら、実行力と実績で青木堂・香主(天地会の派閥・青木堂のトップ)になる。天地会の幹部でありながら、親友でもある康煕帝との板ばさみに思い悩むのだが、最後には7人の妻らの妙案で、康煕帝と天地会からも離れて自由を得るのだった。

韋小宝 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%8B%E5%B0%8F%E5%AE%9D 

鹿鼎記の登場人物 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E9%BC%8E%E8%A8%98

に詳しく書かれている。(いずれも「ウィキペディア」より)

現在、中国でテレビドラマ化されている『鹿鼎記』が、来年日本でもDVDで発売されるらしい。ブルーレイだと尚いいのだが…。ちなみにその画像が公開されている。

http://maxam.channel.yahoo.co.jp/index.php?itemid=20

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2008年8月19日 (火)

金庸の世界 ・ 飛狐外伝

Image1『雪山飛狐(せつざんひこ)』では、主人公の雪山飛狐こと胡斐(こひ)よりも父・胡一刀(こいっとう)苗人鳳(びょうじんほう)の戦いの方が目立ったが、本書『飛狐外伝(ひこがいでん)』はまぎれもなく少年時代の胡斐が主人公として縦横無尽に活躍する。

金庸の描く主人公にしては、ひねくれた面もなく、性格的にもまっすぐに育った義侠心厚いヒーローらしいヒーローである。

物語は、胡一刀と苗人鳳の戦いの後に赤子の胡斐が行方知らずになってから少年侠客として登場し、江湖で活躍するまでが舞台となる。

父母の死後、胡一刀の下男・平阿四(へいあし)によって育てられた胡斐(13、4歳)は、父の残した胡家の秘伝書により、ある程度武術を身につけた少年になっていた。そんな胡斐は、平阿四とともに雨宿りした屋敷で、偶然、苗人鳳と居合わせることになる。しかし、お互いの素性を知らぬ間に別れれてしまう。

その後、胡斐は、炎上する商家で、他人のために自分の命を挺して救った胡斐を見込んだ、紅花会の三番差配である趙半山(ちょうはんざん)と兄弟の契りを結び、乱環訣と陰陽訣の極意を伝授され、その極意と家伝の奥儀書に書かれた武芸に励み一流の侠客となっていくのであった。

※ 趙半山は『書剣恩仇録』の登場人物でもある。

ある日、武林の大物である鳳天南(ほうてんなん)が無辜の民を惨殺したことに義憤を覚えた胡斐は仇討に乗り出すが、袁紫衣(えんしい)という謎の女侠客にことごとく邪魔をされる。しかし、胡斐は美貌の袁紫衣に惹かれていくのである。

その後、胡斐は仇敵である苗人鳳が田帰農(でんきのう)の毒を使った悪辣な計略により失明の危機にさらされる場に居合わせる。以前、雨宿りをした屋敷で苗人鳳の人柄に惹かれた胡斐は、彼を助けるために毒手薬王の末弟子で毒に精通する程霊素(ていれいそ)と出逢い行動を共にする。その過程で程霊素は胡斐に思いを寄せるが、胡斐は袁紫衣のことで心がいっぱいであった。

程霊素のおかげで苗人鳳の失明の危機も去った後、胡斐は苗人鳳が父・胡一刀の仇だと知るが、苗人鳳の人柄を知った胡斐は、父の仇として苗人鳳を打つことに思い悩み、苗人鳳のもとを去る。

そして、再び鳳天南を討つ機会に恵まれるが、またしても袁紫衣に邪魔されるのである。驚くことに、鳳天南は、袁紫衣の父であるとともに、鳳天南に無惨に殺害された袁紫衣の母の仇でもあった。それ故に袁紫衣は親子の情から三度は鳳天南を助け、その後に母の仇を討つことを心に決めていたのである。

その後、胡斐、程霊素、袁紫衣らは、当時の乾隆帝の私生児であり兵部尚書として権勢を誇っていた福康安(ふくこうあん)が武林崩壊を目論んで催した武術大会での陰謀をつぶし、胡斐はそこにおいて袁紫衣の仇を打たせるのだった…。

胡斐と苗人鳳が既に出逢っていたことなど、『雪山飛狐』と矛盾するような描写もみられるが、それは奇想天外な物語として許容される範囲内であろう。しかし、物語後半、ヒーローである胡斐が大活躍する見せ場が少ないことに、いささか興を削がれる思いがしないでもない。その分、袁紫衣が活躍するシーンが増え、読者は袁紫衣の謎に興味が行ってしまう。

また、胡斐に性格的なひねりもないことから、郭靖楊過張無忌令弧冲といった一癖あるヒーローほどに思い入れができない点もこの作品の難の一つになるであろう。

であるが、一服の清涼剤として私には欠かせない金庸作品であることに違いないことも附しておきたい。

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2008年5月11日 (日)

金庸の世界 ・ 雪山飛狐

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雪山飛狐(せつざんひこ)』(徳間書店)を読む。

金庸にしては、わずかに1巻のみと短い作品である。ただし、このあと、『飛狐外伝』(全3巻)を記しているから、長編小説には違いない。

ただ、『雪山飛狐』だけでは、どうも勝手が違う。肝心の主人公の雪山飛狐こと胡斐(こひ)は作品の3分の2くらいまで読み進まないと登場しない。

作品の構成の手法もこれまでと違って、胡斐の父・胡一刀(こいっとう)苗人鳳(びょうじんほう)の決闘の真相が、両者以外の関係者らによって語られ明るみになって行くという、いわば羅生門的語り口である。

舞台は清王朝。物語の約100年ほど前、李自成(りじせい)が反乱を起こして明朝を倒し、一時的に北京を占領したが、間もなく清朝に滅ぼされる。李自成の死後、彼が残したと言われる「財宝」を巡り、彼の護衛を担った4人の部下、胡・苗・范・田家の一族とその末裔たちが清王朝も交えて、何世代にも渡り血みどろの闘いを繰り広げていた。

ふとしたことから、苗人鳳の山荘に閉じ込められた范・田家の末裔たちは、雪山飛狐の仕業と思い込み、それぞれが知る胡一刀と苗人鳳の決闘の断片的な話を語りはじめる。そこには、李自成の死の真相と、胡・苗・范・田家にまつわる因縁が隠されていた。

胡家と苗家も代々宿敵として仇討を繰り返しており、胡一刀と苗人鳳の決闘もこの因縁の結果であったが、二人は闘いを通じて、お互いを尊敬するまでに至っていた。

しかし、何日にも及ぶ二人の正々堂々の闘いに水を差すように、両者の刀剣に毒を仕掛けた者がいた。胡一刀は軽い傷にもかかわらず、剣に仕掛けられた毒がもとで死に、その妻も後を追う。

苗人鳳に委ねられた胡一刀の息子は何者かにさらわれるが、やがて誰もが恐れる侠客・雪山飛狐にと成長して登場する。一方、苗人鳳は仇討の連鎖を封印するため、以後弟子を育てることはなかった。

雪山飛狐は江湖の掟さながら、父の死の真相を確かめ仇討を図るべく、苗人鳳の山荘を訪れるのだが、苗人鳳の娘とは知らず苗若蘭(びょうじゃくらん)に想いを寄せてしまう。

そして、苗人鳳は雪山飛狐・胡斐が胡一刀の息子と知らぬうちに、苗若蘭を辱めた男と誤解し、二人の死闘がはじまる。苗人鳳は胡斐の太刀筋に胡一刀を思い浮かべるのだが、胡斐が最後の一太刀で苗人鳳を倒せるところに至って、苗若蘭への想いから迷いが生じ、結末を迎えないままで物語は終わってしまうのである。

兎も角、内容もさることながら、書評も書きづらく、私自身も勝手が違ってしまったようだ。飛狐外伝』を読んでから書いた方がよかったのかも知れないが、後の結末を委ねられ、消化不良となった読者は果たして…。

雪山飛狐DVD情報 http://www.maxam.jp/setsuzan/index.html

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2008年3月15日 (土)

金庸の世界 ・ 倚天屠龍記

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倚天屠龍記(いてんとりゅうき)』(全5巻 徳間書店)を読む。

やはり、金庸は抜群に面白い。『倚天屠龍記』は前回に読んだ天龍八部』と違ってヒーローが一人に絞られているからいい。やはりヒーローものは、何人ものヒーローが出てくるのは面白みに欠けるし、ヒーロー自体に思い入れを込めにくい。

倚天屠龍記』は神鵰3部作の第3部にあたる。主人公は張無忌(ちょうむき)、前作『神鵰侠侶(しんちょうきょうりょ)』から約80~90年を経た元王朝末期から明王朝へと変わる1350~1360年ころが物語の中心舞台となる。

第1巻の冒頭から第2章まで、『神鵰侠侶』で最後に登場した郭靖(かくせい)の次女・郭襄(かくじょう)が楊過(ようか)の消息を追って旅する姿と同じく『神鵰侠侶』に登場した覚遠(かくえん)とその弟子・張三豊(ちょうさんぽう)が武当派の始祖となる前段までが描かれるが、第3章は第2章からかなり進んだ元王朝・至元2年(1335年)、武当派で太極拳の創始者と伝えられる張三豊の90歳の祝いの年であり、ここから「倚天屠龍」の本編がはじまる。

「倚天屠龍」とは、倚天剣(いてんけん)と屠龍刀(とりゅうとう)のことであり、倚天剣は屠龍刀と並ぶ切れ味抜群の剣で、鞘を払わなくても物が切れるという。また屠龍刀は持っているだけで武林至尊とされる刀である。「倚天屠龍」を手にしたものは天下に号令ができるといわれ、この2振りの宝刀剣をめぐって物語は進むのだが、刀剣よりも、屠龍刀を持っている謝遜(しゃそん)の居所をめぐって話が進むといった方が正しいかもしれない。

謝遜は「金毛獅王」の異名を持つ明教(めいきょう)四大護教法王のひとりであり、文武両道に優れた人物であったが、家族を惨殺されたことにより、復讐の殺人鬼と化していた。更に謝遜は、前明教教主・陽頂天(第33代教主)から次の教主にと遺言されていたが、その遺言は物語後半になって明かされる。主人公の張無忌にとって謝遜は義父にあたるが、義父といっても子弟関係上からきている義父なのである。

明教はペルシャのマニ教に由来し、当時、中華の六大正派(武当派、少林派、崑崙派、峨嵋派…始祖は郭襄、崋山派、崆峒派)から邪教=魔教とされていた。しかし、その教義は、国のため民のため義をなすという立派なのものであり、外国から入ってきた流派というだけで、異端教扱いされていたのである。

明教といっても、中には悪事を働く者もいる。それをとらえて六大正派は明教を魔教と呼んだ。しかし、六大正派にも悪事を働く輩は大なり小なりいたのである。いつの世も少数派は異端視されやすい。

よくニュース・キャスターやコメンテーターと呼ばれる輩が、ある職業・会社・団体のごく一部の者の犯罪をとらえて、全体が同じ穴のムジナ的なことをよく言うが、ニュース・キャスターやコメンテーターから犯罪者が出ると、自分たちのことをどう説明するのだろうか。「犯罪集団の一人の○○です」とでも自己紹介するのだろうか。

「他人には厳しく、自分には甘く」といったことが六大正派そのものを蝕んでいた。

張無忌は武当派の父・張翠(ちょうすいざん)と明教の母・殷素素(いんそそ)との間にできた子供であり、謝遜に殺されそうになった両親も張無忌の誕生によって救われる。そして、張無忌は名づけ親である謝遜によって育てられるのである。それ故、謝遜と別れるまでは謝無忌(しゃむき)と名乗っていた。

張無忌は、正派・邪派の両派から恩人である謝遜の居所を教えるように迫られた両親が自害し、幼くして一人江湖をさすらううちに、医学や武術を極め、六大正派の強者どもが次々に立ち向かってもかなわないほどの武術家へと成長する。

そして、張無忌は謝遜が見つかったら彼を教主にすることを条件に、第34代明教教主となる。彼は明教と六大正派との和解に奔走し、張無忌の活躍により和解した両派は宋王朝を滅ぼした元王朝に立ち向かうのであった。

ちなみに、明教の配下の一人に後の明王朝を築いた朱元璋(しゅげんしょう)がいるが、史実の朱元璋はもちろん明教徒ではない。金庸は、死の間際まで功臣を殺し続けたといわれる朱元璋が嫌いなのか、朱元璋は張無忌への裏切りによって明王朝の創始者とならせるのである。

この物語では、張無忌の成長とともに、何が正で何が邪なのかが問われる。そして、その正と邪を統一する役割を担ったヒーローが張無忌なのである。しかし、そんな張無忌も女となるとだらしがない。こうした欠点は、ある種作者のご愛敬、あるいは完全主義の否定が、張無忌を完全無欠なヒーローに仕立てることを善しとしなかったかもしれない。

《主な登場人物》

● 張無忌・・・本作品の主人公。武当派・張翠山と明教・殷素素の息子。ひょんなことから明教教主に祭り上げられる。

● 趙敏(ちょうびん)・・・元朝に仕える汝陽王の娘で紹敏郡主。本名はミンミンテムール。張無忌に惚れてつきまとう。

● 周芷若(しゅうしじゃく)・・・船頭の娘。峨嵋派の掌門・滅絶師太(めつぜつしたい)の弟子、後に峨嵋派掌門となる。張無忌を愛し裏切るのだが…。

● 殷離(いんり)・・・張無忌の従妹で、殷素素の父で明教四大護教法王の一人「白眉鷹王(はくびようおう)」と呼ばれる殷天正(いんてんせい)の孫。またの名を蛛児(しゅじ)。張無忌を憎しみながらも激しく慕っている。

● 小昭(しょうしょう)・・・張無忌の侍女としてつきまとう。明教四大護教法王の一人「紫衫龍王(しさんりゅうおう)」ティギス(黛綺絲)の娘。後、ペルシャ総教の教主となる。

● 謝遜・・・「金毛獅王(きんもうしおう)」の異名を持つ明教四大護教法王にして、張無忌の義父。一家を師父・成崑によって殺されている。

● 成崑(せいこん)・・・謝遜の師父にして仇敵。明教を心の底から憎んでおり、その四大護教法王となった弟子に復讐をする。混元霹靂手(こんげんへきれきしゅ)の異名を持つ。

● 張三豊・・・武当派の開祖にして太極拳の創始者。

● 武当七侠・・・張三豊の7人の弟子。宋遠橋、兪蓮舟、兪岱巖、張松渓、張翠山、殷梨亭、莫声谷。

● 明教四大護教法王・・・「紫衫龍王」ティギス(黛綺絲)、「白眉鷹王」殷天正、「金毛獅王」謝遜、「青翼蝠王」韋一笑の4人。

● 明教逍遥二使・・・明教の光明左使・楊逍(ようしょう)と光明右使・范遥(はんよう)の2人。楊逍は後、第35代目明教教主となる。

● 玄冥二老・・・鹿杖客と鶴筆翁の2人。玄冥神掌という強力で陰険な技を使う。幼少期の張無忌はこの掌の後遺症で苦しんだ。

● 楊不悔・・・楊逍と峨嵋派掌門・滅絶師太の愛弟子・紀暁芙の娘。

金庸の世界 http://www.fiberbit.net/user/m31fb5/kinyo.htm

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2007年11月 9日 (金)

金庸の世界 ・ 天龍八部

Cimg9456a金庸の世界 ・ 天龍八部

天龍八部(てんりゅうはちぶ)』(全8巻 徳間書店)を読む。

この物語は、『射鵰英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)』の時代を遡ること約100年前の紀元1100年前後、北宋後期を時代背景とし、中華王朝である北宋は、北に遼国、西夏国、西に吐番国、南に大理国といわゆる他民族に囲まれ、侵略の脅威にさらされていた時代でもある。

天龍八部』のタイトルは仏教経典からとられ、天龍八部とは仏が菩薩らに説法するときに必ずその場にいる顔かたちが人に似て人にあらざる者で、八種の神々と怪物からなり、その頭が天神と龍神であることから「天龍八部」と名づけられた。その中には、よく知られている「夜叉」、「阿修羅」の名がみられる。

その天龍八部』をタイトルに冠しただけに、物語は大理国を中心に据え北宋、遼、西夏、吐番に及び、壮大な物語となっているが、タイトルと内容は結びつかないように思える。

あまりに壮大なこの物語のあらすじを書くのは容易ではないので省くことにするが、この物語の主人公はいったい誰なのであろうという疑問が読後に残るであろうし、多くの評論・感想にも4人のヒーローの名が連ねられているが、金庸が冒頭の解題に、「この小説は天龍八部を題名として、北宋時代の雲南大理国の物語を書いたものである」と述べているように、主人公は第1巻から登場する大理国の王子である段誉(だんよ)であろう。

段誉は、仏教や儒学に傾倒し、正義感は強いのだが、武術には興味のないいわゆる文学青年だから、これまでの金庸の物語の主人公としては物足りない、あるいは異色と言ってもいいだろうが、ふとしたことから彼は、逍遥派の絶技である「北冥神功」、「凌波微歩」、天下無敵とも言える家伝の「六脈神剣」まで修得してしまうのである。

段誉は誰にも負けないほど強くなるのであるが、武芸の基本と内功がないので、その絶技の使い方を知らない、思い通りに操れないから、弱いのである。ある時は「強い」けど「弱い」、また、ある時は「弱い」けど「強い」といったアンチヒーロー的側面がある。

そして、段誉を中心として、彼と義兄弟の契りを結ぶ、丐幇(かいほう)の幇主・喬峯(きょうほう)、彼は後に遼国の南院大王となる。そしてもう一人、少林寺の僧で、段誉と同じく、後に偶然にも逍遥派の秘伝を取得し掌門に指名されてしまう虚竹(こちく)がこの物語のヒーローとして活躍する。

登場人物の中で精神的にも体力的にも最も強いのは喬峯であろう。彼は、『射鵰英雄伝にも登場する丐幇(いわゆる乞食の結社)の幇主で、彼の得意技である「降龍十八掌(こうりゅうじゅうはっしょう)」は幇主のみが身につけることのできる奥義で、『射鵰英雄伝』のヒーロー・郭靖(かくせい)にも後々引き継がれることとなる。

しかし、喬峯は悲運のヒーローであり、その出生の秘密が丐幇の幇主を狙う者らに悪用され、その地位を追われ、漢人ではなく契丹人として名を蕭峯(しょうほう)とあらため、後に契丹人の国である遼国の南院大王となるが、その正義感と義侠心から最後には自ら死を遂げる。

そして、これら3人のヒーローとは別に、もう一人のヒーローとされている慕容復(ぼようふく)が登場するが、私は慕容復をヒーローとは認めない。なぜなら、彼にあるのは名誉欲のみであり、正義感と義侠心を持ち合わせていないものがヒーローたりえることはないのである。

武林での慕容復は、「北の喬峯、南の慕容」と称され、「彼の道をもって彼を制す」…つまり相手の得意技で相手を倒す、どんな武芸にも精通して秀でているという意・・・という武芸で恐れられているにもかかわらず弱すぎるし、燕国復興・・・慕容復は紀元4世紀ころに建てられた燕国の始祖の末裔である・・・のためならどんな悪行もいとわないという思考の持ち主は、とてもヒーローの名を付すことはできない。

この物語は前述したように壮大であり、ヒーローにまつわるそれぞれのエピソードや謎解き的な側面をはらんでいることは面白いし、時に『易経』、『論語』、『詩経』、『孫子』の言葉が散りばめられて文学的な側面を持つ反面、致命的な破綻がある。

それは、段誉の父であり大理国の鎮南王・段正淳(だんせいじゅん)の存在である。この物語の悲運の因果関係はことごとく、段正淳の女好きによって発生している。段誉が心を寄せはじめる女性のすべてが段正淳の血をひくものであり、喬峯が唯一愛した女性・阿朱(あしゅ)、その妹・阿紫(あし)でさえもがそうなのである。

そして最後に、虚竹、段誉にまで出生の秘密があったのだが、これまた驚愕せざるを得ないほどに稚拙な内容となっていることである。

単行本の帯には、『金庸文学の最高峰!』とうたってはいるものの、私には人間関係を極端に狭めたことで、壮大な失敗作に終わってしまったと思えて仕方がないのである。

金庸の世界 http://www.fiberbit.net/user/m31fb5/kinyo.htm

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2007年8月14日 (火)

金庸の世界 ・ 笑傲江湖2

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金庸の世界 ・ 笑傲江湖2

笑傲江湖(しょうごうこうこ)』(全7巻 徳間書店)を昨日読み終えた。1週間で、3~7巻の計5巻を読み終えたことになるが、それだけ読みやすいし、話が面白いという裏付けでもある。

話の筋は第2巻まで読み終えて、令狐冲(れいこちゅう)が最高の武術を身につけながら、対立する正派と邪派(魔教)にとらわれることなく交誼を図る中で、両者を統一していくという物語だと思われると書いたが、概ねそれに近い内容であった。

武林の仁と義を重んじる正統派と呼ばれる「正派」は、崋山派、恒山派、崇山派、泰山派、衝山派の五嶽剣派と少林派、武当派、青城派、崑崙派などを含めた名称であり、目的のためなら残虐非道を厭わない「邪派」は、魔教と呼ばれる日月神教を主とした百薬門、五毒教、天河幇、白鮫幇などの流派をいう。

いかにも「正」と「悪」が対立している図式であるが、正がかなずしも正に非ず、悪が必ずしも悪に非ずというのがこの作品の世界であり、正義感と義侠心の強い令孤冲であるがゆえに、正と邪の壁を越え、両方の好漢武人と友好を持つはめになり、時には誤解をされ、最後には正邪両方の幹部らから尊敬を克ち得る武人に成長する。

武林の正派である崇山派の左冷禅(されいぜん)は、邪教と呼ばれる魔教・日月神教の台頭を理由に、五嶽剣派を統一して、その盟主に座ることを目論む。五岳の盟主に座るにはそれなりの実力が必要であり、武林隋一の使い手になるためには、伝説の剣法の秘伝書『辟邪剣譜(へきじゃけんぷ)』を手に入れなければならなかった。そのためには、邪教を装い様々な画策がなされ、その残虐非道ぶりは邪派に劣ることはなかった。

作品を読み進むにつて、「君子剣」と呼ばれ、正派の各派からも尊敬を集めている令孤冲の師匠・岳不羣(がくふぐん)も例外ではないことがわかる。孤児であった令孤冲を崋山派第1の師弟として育てた岳不羣にもかかわらず、『辟邪剣譜』を手に入れるためには、令孤冲に濡れ衣を着せ、崋山派の裏切り者として追放するのであった。この予想外の裏切りは、令孤冲には到底信じがたいものであった。

ここに長編小説の破綻がなくもない。すべての真実が明らかになったにもかかわらず、それでも岳不羣を師と仰ごうとする令孤冲の潔さが欠ける点が、令孤冲の聡明さをボケさせている。岳霊珊のことにしても然りである。

ただ一人、令孤冲の無実を信じてくれたのは、岳不羣の妻であり令孤冲の師でもある寧中則(ねいちゅうそく)だけであった。その娘で、幼馴染であり、令孤冲が恋い慕う岳霊珊(がくれいさん)でさえも、令孤冲が師弟を殺害し、『壁邪剣譜』を奪い取ったと信じていた。

そんな濡れ衣を着せられながらも、正義のためなら自分の命さえも惜しまず、正派・邪派のこだわりなく悪と対峙する令孤冲の姿勢は、ヒーローという名に恥じない。

そして、この物語に花を添えるのは、そんな彼を陰から支えた前魔教教主・任我行(じんがこう)の娘・任盈盈(じんえいえい)の存在である。令孤冲の思い人は岳霊珊であると知りながら、彼の純真な心に惹かれ、重症を負った令孤冲を助けるために、邪教を忌み嫌う少林寺にわが身を投げ出すのである。彼女は魔教では聖女と呼ばれ、女神のように崇められていた。欲しいものは何でも手に入るにもかかわらず、一武人の令孤冲に命をささげるのである。

金庸がこの作品を記していた当時、中国は文化革命の嵐の中であり、そんな世相とはよそに、『笑傲江湖』~江湖を傲然と笑い飛ばす~どんな時代にも存在する江湖(世の中)の政治的な覇権争いも歯牙にもかけないという皮肉を込めてつくられた令孤冲というヒーロー像は、まさに正真正銘、勧善懲悪かつ痛快無比のヒーローそのものである。

この作品は、中国では根強い人気があり、何度の映画化やTV化されている。その中で、完成度が高いと言われた映画『スウォーズマン』(1990年・香港)を昨日再度観たが、原作が『笑傲江湖』というだけで、登場人物たちは同じでも中身は全く違うものになっている。

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2007年8月 5日 (日)

金庸の世界 ・ 笑傲江湖1

Cimg2292a金庸の世界 ・ 笑傲江湖1

6月から『笑傲江湖(しょうごうこうこ)』(全7巻 徳間書店)の文庫本が発刊され、7月までに第2巻が発売されたが、最初危惧していたように、第2巻を読み終えて、第3巻以降が発売されるのが待ちきれなくて、第3巻から第7巻までの単行本をネットで購入してしまった。

なぜなら、紀伊国屋などのよほど大きな書店でない限り、金庸の単行本を置いてないからだ。

その点ネットだと、わずかの手数料で自宅に届くのであるから、書店に注文して取りに行くという煩わしさがない。

文庫本では、まだ第3巻が発売されていないのだが、私はもう既に第4巻を読み終えようとしている。文庫本で我慢していると今年の終わりにならないと読み終えないものも、この調子だと8月の中旬までには全巻読み終えてしまうだろう。

確かに文庫本の方が単行本に比べて半額という利点はあるが、金庸の作品は既に全作品が発売されてしまっているので、これからは文庫本化されるのを待たずに、単行本で講読するようにした。つまり、もう待ってはいられない。それだけ面白いということなのである。

さて、『笑傲江湖』であるが、金庸作品の中で最も親しまれており、そして最も完成度が高い作品であると言われており、確かに、その面白さ、話の展開の早さ、そして様々な伏線が、一種の謎解きのような趣向を凝らしており、読み応え十分である。

この作品の面白さは、主人公・令孤冲(れいこちゅう)の設定にあるかもしれない。彼は金庸作品の主人公の中では、一番まともである。学問は受けてないのだが頭の回転が速く、純真で男気(侠気)があり、誰からも慕われる性格である。唯一の欠点は、酒好きであるということだけ。

そんな令狐冲が最高の武術を身につけながら、対立する正派と邪派(魔教)にとらわれることなく交誼を図る中で、両者を統一していくという物語だと思われるが、その辺は、後日書き記すとしよう。

金庸の世界 http://www.fiberbit.net/user/m31fb5/kinyo.htm

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2007年7月 1日 (日)

金庸の世界 ・ 連城訣

Renjyouketu01 金庸の世界~その3

連城訣』(れんじょうけつ)は、金庸にしては上下2巻からなる短い作品であり、『射鵰英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)』や神鵰侠侶(しんちょうきょうりょ』に比べ地味な作品であるが、相変わらず話のテンポは速く、次から次へと主人公に襲いかかる危難に本を閉じるのがいやになるほど面白い。

この作品の時代背景はすぐにはわからないが、原作を読む限り、劉邦を始祖とする「漢」が滅び「隋」が統一する前の魏晋南北朝時代(紀元400~500年代)、承聖3年(紀元554年)に魏の将軍・于謹が梁の元帝を殺害してから数百年後以降の話であることから、紀元554年~紀元1553年までのいずれかの時代で、「唐詩選」が発刊されているから、「明」(1368年-1644年)の時代と読みとれる。

もっとも、時代背景なんて作品を読んでいるうちは、一向に気にならない。気になるのは、『連城訣』という秘伝の書を巡る骨肉の争いに、悪人ばかりが登場し、善人さえもが悪人に見えてしまう不思議さ、逆に悪人と善人が戦っているときに、つい悪人の方に肩をもってしまう不思議さである。

この作品の主人公は狄雲(てきうん)、善人はこの狄雲とヒロインである戚芳(せきほう)と水笙(すいしょう)、そして獄中で一緒だった丁典(ていてん)、水笙の父親・水岱(すいたい)くらいなものであろう。

話の筋は、狄雲が戚芳の父親・戚長発(せきちょうはつ)を師として、湘西沅陵南郊の麻渓鋪という片田舎で修行の日々を送っていたころ、荊州に住む戚長発の兄弟子・万震山の誕生祝に呼ばれる。

そこで、戚長発らは、『連城訣』のありかを戚長発が知っていると疑っている万震山とその息子・万圭(ばんけい)の罠にはめられ、戚長発は行方不明となり、狄雲は万震山の弟子たちに右手の指を全部切り落とされ、万震山の愛妾に対する強姦と窃盗の無実の罪をきせられ投獄される。狄雲と相思相愛の仲であった戚芳は、狄雲が投獄されている間に万圭の妻となる。それも、戚芳に一目ぼれした万圭の策略であった。

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